泉田塾便り【2026年(令和8年)6月号】

できごと

  おだやかな天気のいい日が続きました。いかがお過ごしでしょうか?

中間テストも終わり一段落。実になる勉強めざしてがんばりましょう。

例えば、うちの村の女住職は中学の数学教師を面白い先生と思い、勉強して高岡高校へ進み富大へと進まれました。何を言いたいかと言いますと、今のお仕事に学校で習ったことを使っているかというと使っていません。たいていの人が運命の出会いで道が決まっていき、直接学校で習ったことは使っていません。

勉強はキャリア(職業、職種の選択)に役立ちます。あと一般常識の形成に役立ちます。世の中をどう見るかに役立ちます。背景の知識は広ければ広いほど、深ければ深いほどいいわけです。

何を言いたいかと言いますと、塾では学校で学んでいることが「さっぱりわからん」「意味を感じられない」を回避すること、つまり、よくわかって、栄養になっていることを目指しています。ギャップを埋めるでしょうか。

塾長・泉田芳範

新 中川先生のコーナー

 歴史の教科書に書かれた主な事項は、当然に史記が元になっています。奈良時代に最初に「古事記」、そして「日本書紀」が編纂されたことは習いましたが、それ以降も何らかの形で、史実を書き留めた公文書が基本的に存在し、勿論現代においても正式な公文書として綴られています。一方で奈良時代には「万葉集」も遺されましたが、これが「世界最古の歌集」と言われています。どうしてこのようなものが日本に存在するのかは疑問ですが、古代から中世にかけて、身分の高い人は何らかの道楽をしていたのは知るところとなっていますが、それが日本ではたまたま和歌であったということではないでしょうか。当時の貴族の行為は決して褒められたものではないですが、そのお陰で「万葉集」のような世界的な文学が、今の世に存在することは、幸いと言うべきことなかも知れません。
 この「万葉集」の文学的な価値は言うまでもありませんが、一方で歴史的価値についても今回考えてみたいと思います。「万葉集」は文学で当然に脚色されています。これに対して史記は歴史を正確に記しているもの、とは言われていまが、果たして本当に正確なものと言えるかどうかです。
 史記には文学のような脚色は限りなく少ないのは確かでしょうが、一方で権力者による忖度が当然に働きます。特に歴史的な勝者によって歴史が修正さることは、当たり前のように繰り返されてきていることは容易に想像されます。
 一方で文学は忖度というものが働き難い分野です。厳しい検閲がある訳ではないですから、当時の事物がありのままに描かれている、という面は見逃せません。正史よりも正確とまで言えないまでも、正史に書けなかった忖度に相当する部分が、実は芸術作品に隠されていたりすることは、世界的に類例のあるところです。つまり「万葉集」もそうした芸術作品となるに十分に値打ちがあると言えるでしょう。
 この「万葉集」の主たる編纂者である大伴家持ですが、67年間と言われる生涯のうち、30代から40代にかけての約5年間、越中の国司として赴任して来ました。そしてどういう訳かこの時代の和歌が異常に多いことでも知られています。国司時代の仲間も含めて、越中の出来事が万葉集ではかなり記されていることになります。ということは奈良時代の様子がよく分かる地方のひとつとして、越中が取り上げられるというのは過言でもないでしょう。
 「万葉集」に関して書き足りないところもありますがこの程度にして、この時期毎年問いかけたいことがあります。理科になりますが、「最も昼が長いのは6月21日の夏至」というのは誰もが知るところですが、「最も夜明けが早いのは何月何日でしょうか」あるいは「最も日暮れが遅い日は何月何日でしょうか」といことです。このようなことを取り上げるということは、勿論「夏至ではない」ですね。関心のある方は、是非このことを観察、考察してみて下さい。

親御さんの声

  塾に行く前は緊張からなのか、少し顔が曇りがちですが、終わったときはとても満足そうな笑顔で帰ってくるので、やり遂げた達成感かなぁと思います。これからも、できる!!できた!!と自信に繋げて勉強を頑張ってほしいです。

確かに彼、渋い顔をしますね。実際に接してみると、よくできている部分があります。とりかかりに時間がかかり、待っていると、そのうちにやる気になってやり始める。学校の学びをしっかり頭に入れるを目指してがんばります。

生徒さんの声

 勉強をがんばる。

一通りできるようになりましょう。学校でテストが有ったら持ってきてくださいね。どんな点数取っているのか知りたいです。