泉田塾便り【2026年(令和8年)5月号】

できごと

 おだやかな春らしい天気がときどき現れて気持ちを和ませてくれます。春さまさまです。

学校は運動会や修学旅行などで忙しそうですね。こういう時にもステルス的に着実に力を養っておきたいものです。

 先日、田んぼの中でキャタピラー式のトラクターが埋まりこんで身動きできなくなってしまいました。絶望I can not. 結局悪戦苦闘の末、数時間後には一人で出てきたんですが、

1月にオーストラリアの13歳の少年が海を数時間泳いで家族救出というニュースが流れましたが、その時その少年は夕暮れ迫る中で一人泳いでいる時「ポジティブなことを頭に浮かべようとした」と言っています。

何を言いたいかと言いますと絶望的な状況の中でも「なんくるないさ」(沖縄言葉)なんとかなるさ。と言いたいわけです。

塾をやっていますと、絶望的な状況が多いわけでして、そこへ光明(かすかな明かり)が見えた時の嬉しさは格別です。最近塾でそういうことがありました。

塾長・泉田芳範

新 中川先生のコーナー

 万葉集は、奈良時代に編纂された日本最古の文学集であることは、言うまでもありません。そのなかに「立山の賦」というのがあります。これは大伴家持による長歌です。万葉集の殆どは短歌ですが、なかには「立山の賦」長歌も混在します。
 その歌碑は魚津にあるのですが、それは文中に「片貝川」があり、その辺(ほと)りから立山を眺めて作られたと言われています。現代訳で「立山を取り巻くように」片貝川が流れているということから、「立山」はひとつの山ではなく連峰である、というのが私の国語の先生の説でした。それは片貝川が立山へはつながらないからです。
 一方で「立山」というのは実は万葉集では、「タチヤマ」と発音していることでも知られています。「タテヤマ」ならまだしも、「太刀山」となると連峰ではなくひとつの山を連想し易いと思います。そして片貝川から立山を眺めるとどうなのか、というと、川が実は大剣の方に向かっており、その向こう右に立山の一部が見えて、それはまるで奥の院として控えているかのようです。家持が赴任した国府は高岡ですから越の国の視察の際に、立山が魚津に向かうにつれて、剱岳の向こうに次第に隠れていく様子は、家持自身はきっと観測できていると思います。それだけに、魚津から観られる立山は、より神々しく見えたのではないでしょうか。
 そして片貝川の源流は実際には毛勝山ですが、その奥の剱岳、更には立山を取り巻くように見えても、不思議ではないとも思います。
 魚津では立山は剣の陰に入りますが、大日岳の陰に完全に隠れてしまい全く見えない場所もありす。その代表的な場所が「立山インター」だと思います。私の記憶が正確ならばの話ですが、「立山インターからは、実は立山は観えない」のではなかったでしょうか。

 という訳ですが、立山連峰は数多くの山が連なっているなかで、その主峰と言われる「立山」は、その神秘性を神話とともに、奈良時代から今に伝えられているのではないでしょうか。そう思いつつ、富山県内の至る場所から、立山連峰を是非眺めてみたいものです。