>> 泉田塾 情緒・環境のHP せんだじゅく
月画像
月タイトル
できごと:
 5月になりました。いかがお過ごしですか?中学校では中教研試験がなくなり、中間テストもなくなりやや呆然としています。
 生徒さん達も、基本ハングリー精神がなくなり、どこかのお坊ちゃまを相手にしているようで、這い上がろうとするエネルギーを感じない分、押してあげなければならなく大変です。

窓
 某学校の問題を解いていて僕が感じるのはこれは選抜のための問題であって、人を育てるための教材ではないなということです。数少ない膨大な読書量を持っていて深い知力を持った人はなんとか読解できるかもしれませんが、たいていの場合勉強嫌いを作るだけの問題。いかんなあ。僕の持論ですが生徒さんの多くは勉強システムに参加しているだけ、育ちたいのに育っていない。
 生徒さんを教えていて感じるのは生徒さんの勉強に対して持っている「哲学」です。それは「勉強とはテストの点数を取るためである」という考え方です。したがって点数を取るための効率のいい方法をやたらと求めます。昔の歌にあった「こんなオイラに誰がした」(星の流れに)です。もちろん大人がしたわけです。マズイ!
 もう一方の考え方は「将来に備えての勉強」です。これも誤解されるのですが、将来に備えて点を取ろうとしているのではないか、何が悪い。ということですが、方向違いでみみっちくなっちゃうんですね。

新 中川先生のコーナー:
 我々が子供の頃は、「春は穏やかな季節」と言われていました。実際に国語に出てくる物語や詩においても、春を伝えるものは穏やかさを伝えているものが、少なくありません。
私の春の思い出と言えば、まず雪解け後の田圃、農作業前の状態で野球をしたことです。バットとグローヴとボールを持って、耕す前の田圃に残っている稲藁を集めてベースを作り、凹凸のある地上を駆け回りました。今思うと農家にとっては、実に迷惑な話のような気がするのですが、「子供のすること」と大目に見ていてくれていた、というところでしょうか。
今の世においては、春から穏やかさが失われているような気が致します。気候変動が理由なのか、それとも時代背景がそうしているのか。年々春が慌ただしく過ぎて行くのを、感じ取っている次第です

 
親御さんの声
 いつもありがとうございます。勉強ができない子で先生にはとてもお世話になりました。本人が決めた志望校に合格でき本当に良かったと思います。本人は高校ではサッカーと勉強を両立させたいと言っていました。受験を終えホッとした気持ちです。本人がどうしたいのかをきき認めていくことも大切だなと感じました。「その子らしくその子なりに頑張っている事を認める」という事を学びました。
 4月から下の子もお世話になります。上の子も継続して先生に教えて頂きたいと言っていました。今後ともよろしくお願いします。
 この塾に入る前の塾で「オマエには県立高校は無理だ」といわれたそうですね。そのキツイ言い方、本人そうとうこたえたようですね。
 本人も頑張ったかもしれませんが、お母さんも気づいたり、言いたい言葉もぐっとこらえて努力なさったと僕は感じています。あまりぎゃあぎゃあ言わない方が「おふくろ」を感じます。「本人がどうしたいのかきき認めていく」この言葉に言いつくされているような気がします。盆栽のようにこっちの思う方向にはめていくのとは違いますね。
「その子らしく、その子なりに頑張っている事を認める」これが僕には欠けているのですね。ほめる言葉が少ないのです。かといって誉め言葉の安売りはしたくないし。
 いつもありがとうございます。今年はいよいよ中学校最後の1年です。よろしくお願いします。
 平日は忙しく、全く子どもに構ってやれませんが、私が後悔しないように毎日英語10分、数学10分、一緒に予習することを決めました。勉強嫌い、努力嫌いの息子を勉強に向かわせるのは至難の技ですが、予習は“労力対効果が高い”“楽して点数上げよう”と息子にも自分にも言い聞かせがんばってみようと思います。
どうぞ力を貸してください。よろしくお願いします。
 そうですか、予習はコストパフォーマンス、費用対効果ならぬ、かけた労力に対しての効果が大きいですか。やってみる価値ありですね。失礼な話ですが、彼の顔を見ると「楽して‥‥」のフレーズが浮かびます。人間、自分の性格の上を生きるものですから、こればっかしは一生ものです。「好きこそものの上手なれ」ということわざがありますように、好きなものには努力を惜しまないかもしれませんね。彼の目の前に別の世界が顔を現わすといいですね。
泉田塾たよりのページへ