論評:
習ったことを頭に定着するにはどうすればいいか?
詰まる所、ひたすら繰り返しでしょう。
やすやすと覚えているように見える他人も、意外と努力して繰り返し練習しているんだと知ることも自覚を深めるかもしれません。他人の汗を見る。
今日は塾に2時間行って来たけど、結局何を習ったのだろう?と習ったことを確認してみるのもいいかもしれません。
そして重要なのは原動力=自分の中のマグマを熱くすることでしょう。やっていることの意義を感じる。目標に近づいている感。あるいは習っていることが面白い。
気分転換して休んでフレッシュエアーを吸い込んで初心にかえってみる。
エピソード1:
生徒さんの作業を見ていますと、不思議な現象がよくあります。端的に言うと、そこに書いてあることを正確にとらえていない。なんか自分に都合のいい、その時頭に浮かんだ勝手な事で置き換えていく。さらっとうやむやなまま過ぎて行く。その場をやり過ごす習慣が身についている。
意識化が弱い感じ。はっきり意識的にとらえてない感じ。です。
意識化が弱い感じ。はっきり意識的にとらえてない感じ。です。
エピソード2:
塾便りを楽しく愉快なものにしなければならないと思いつつ、キーボードの前に座ると出てくるのは例えば:
生徒さんを見ていますと、軽いミス、ちょとした不注意によって絶対に解けない難しい問題へと作り変え、「やっぱり自分はできないんだと」確認したがっているとしか思えないような場面があります。脳の深部の潜在意識の領域から指令が出ていて「イヤダ、イヤダやりたくないよう」が、そういう行動となって現れるのでしょうか。どこかで快感経験に変わらないといけないんですね。わかっていても難しい。強いて言えば小、中、高の問題は「指定された道を歩けば解けるように作られている」ことを知っていることが助けになればいいのですが。
生徒さんを見ていますと、軽いミス、ちょとした不注意によって絶対に解けない難しい問題へと作り変え、「やっぱり自分はできないんだと」確認したがっているとしか思えないような場面があります。脳の深部の潜在意識の領域から指令が出ていて「イヤダ、イヤダやりたくないよう」が、そういう行動となって現れるのでしょうか。どこかで快感経験に変わらないといけないんですね。わかっていても難しい。強いて言えば小、中、高の問題は「指定された道を歩けば解けるように作られている」ことを知っていることが助けになればいいのですが。