2018年一月にNHKで「100分de名著 南洲翁遺訓」というのをやっていました。番組や講師の先生の意図とは別に当方なりの解釈を試みます。つまり明治維新が懸命に取り組んだ「近代化」とは何だったのか?もしかしたら経済的繁栄を主に追求するだけのものだったのではないか?明治維新で置き忘れられたものは何だったのか追求していきたいと思います。経済効率だけを追求する現在社会に違和感を持つ人の共感の輪が広がればいいと思います。
2018年2月12日の北陸中日新聞で内山 節さんが働き方改革で問われているのは、大量生産で物を作るようになってから農民、職人は「手」の仕事を失い、労働者として労働を時間売りするだけの存在になり仕事から喜びと誇りを得られなくなったと書いています。そう思われませんか?
A(大量生産仕事に従事することによって基礎的な収入を得ること)と、B(残りの多くの時間を自分の腕や個性を発揮できる、つまり生きがいを感じられる仕事に時間を割くこと)とのバランスをとることこそが本当の意味での働き方改革ではないでしょうか?
今後は、この不透明と言われる未来をこのような社会づくりに向けて合力していきましょう!「発展」のためにやっているのか?「人」のためにやっているのか?
向かう方向をお金儲けから生き甲斐へと舵を切る。諸事に心遣いの感じられるつましい社会をとりもどす。
2018年2月12日(月曜日)北陸中日新聞「時代を読む」内山 節
 十八世紀から十九世紀にかけてヨーロッパで産業革命がおこり資本主義が生まれていったとき、労働者の多くは、この新しい経済と労働のかたちに批判的だった。当時は長時間労働と低賃金労働がまん延していた。
 だがその頃の労働者たちが書いたものを読むと、批判の軸になっていたのは低賃金や長時間労働ではなかったことがわかる。誇りをもてない労働、自分を一定時間の消耗にさらすだけの労働、監視されながら命令に従うだけの労働。そういう労働のあり方に対して、労働者たちは怒りをもっていたのである。
 それは当然であったのかもしれない。なぜなら資本主義が生まれる前の社会では、普通の人々は農民や職人、商人として働いている。いわば自営で仕事をし、一人一人が自分の仕事スタイルをもっていた。その仕事スタイルは、それぞれの考え方や自分がもっている技などからつくられてくるもので、人々は自分がつくりだす労働に誇りをもっていたのである。
 ところが資本主義の時代になると、安価に大量生産されてくる工場生産物によって、職人たちは仕事を奪われていった。仕事を失った職人は、工場で働くようになる。そして勤めるようになった企業で感じたものは、誇りをもてない労働、人間性を奪われた労働、働きがいのない労働だったのである
 仕事帰りに一杯の酒が飲めることの引き換えに、誇りのない、苦痛なだけの労働に従事しなければならないのか。当時の労働者たちは、そんなことを訴える文章をよく書いていた。
 現在の人々も同じようなことを感じているのかもしれない。社会の中では長時間労働がまん延し、格差社会のもとでの低賃金労働も構造化されている。だがそれ以上に問題なのは、誇りをもてない労働、働きがいのない労働の広がりである。
 自分の労働は、お金と引き換えにおこなう精神的、肉体的消耗にすぎないと感じている人もいるだろう。社会に役立っているのかどうかもわからないままに、ノルマや数字に追われる労働をしている。そんな感覚も今日の労働の世界には広がっている。
 現在の労働の問題点は、働きがいのない労働に長時間従事しなければならないことや、働きがいのない低賃金労働が広がっていることにあるといってもよい。逆に言えば労働のなかに誇りや楽しみ、働きがいを感じられる仕事なら、私たちは少々労働時間が延びても、その仕事をやり遂げようとするものである。もちろんあまりにも長い労働時間は、よいことではないのだが。
 現在語られている「働き方改革」に、疑問を感じる人はけっこう多い。その理由は、労働の質を問うていないからである。労働が働きがいのあるものになるためには、自分の仕事に社会的有用性が感じられ、労働の価値を認めてくれる職場や取引先、消費者などとの関係が重要なはずだ。とすればそれは、経済のあり方、企業のあり方の改革でなければならないはずなのである。そういう根本的な視点をもたずに残業時間を減らせと言っているだけなら、働く側にとっては、残業代が減るだけのことになってしまう。
 資本主義形成期の労働者たちは、働きがいがなくなった労働を問題にしていた。そして今日もなお、同じ問題が問われている。
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