泉田

世の中の流れが「経済拡大」から「清く、正しく、美しく」に変わらないかあ

イェー、パラダイム変換か?なるわけないやろ

泉田

これだけは知っておきたい世の中の構図ちゅうのがあるねん。

なんや?

泉田

力のある方が自分に都合のいい風にお手盛りすること。弱い方は割の悪い方を喰わさせられる構図!

それでどうしたいんや?

泉田

呪文を一つ唱えさせて!
方向性:
低収入の確保
職業ローテーション
職場地位ローテーション
時間の確保

わからん! もっと詳しく

泉田

もう一つ呪文
 国家も組織も人ではない。血も涙もない。なぜそんなものに従わなければならない?

 魂は人を裁かない。支配もしない、だから、いかなる裁きや支配からも自由だ。

 反乱や暴動を起こす必要はない。服従するのをやめるだけでいい。その瞬間から自分の人生を始められる。

 独裁者も人である限り、必ず滅びる。世界は意外と簡単に変わる。氷が溶けて水になるように。

そのお経どこからとってきたんや?

泉田

「パンとサーカス」島田雅彦(北陸中日新聞年末、2021年始)から

南無阿弥陀仏
メキシコ合衆国、キューバ共和国、パレスチナ国、ベネズエラ・ボリバル共和国、パラオ共和国、ベトナム社会主義共和国、ウルグアイ東方共和国、ニュージーランド、クック諸島、ガンビア共和国、サモア共和国、サンマリノ共和国、バヌアツ共和国、アンティグア・バーグーダ共和国、オーストリア共和国、バングラディシュ人民共和国、ベリーズ、ペナン共和国、ボリビア多民族国、ボツワナ共和国、カンボジア王国、コスタリカ共和国、ドミニカ国、エクアドル共和国、エルサルバドル共和国、フィジー共和国、ガイアナ共和国、バチカン、ホンジェラス共和国、アイルランド、ジャマイカ、カザフスタン共和国、キリバス共和国、ラオス人民民主共和国、レント王国、マレーシア、モルディブ共和国、マルタ共和国、ナミビア共和国、ナウル共和国、ニカラグア共和国、ナイジェリア連邦共和国、パナマ共和国、パラグアイ共和国、セントクリストファー・ネービス、セントルシア、セントビンセント及びグレナディーン諸島、南アフリカ共和国、タイ王国、トリニダード・トバコ共和国、ツバル

泉田

世の中、物があふれかえっているわ。もう少し物の貧乏な社会を目指さなあかん。

そだねー

泉田

その他大勢(旧態依然)について行かない生き方していれば、それでいいんじゃないですか。そこから新しい未来が始まる。

泉田

話変わりますが、西部ホテルがシンガポールの政府系ファンドに売却だって。(2月9日)1938年創業の元日産自動車系の自動車部品会社が2017年にアメリカのファンドKKRに株式を売って、この時点でもう外国資本の会社か。そして2月21日には「そごう・西部デパート」売却交渉本格化だと。身売り先はもちろんアメリカファンド。外資ファンドがノッシノッシ歩いているね

この国、どうなって行くのかね?

泉田

この国どうなって行くのかねと思っている人は他にもいるようで例えば令和4年3月1日の新聞記事によると令和臨調というのが発足し「発熱」しています。  私たちは平成の三十年余りの間に、阪神・淡路と東日本の二度の大震災を経験しました。そして令和になってからも新型コロナウィルスの感染拡大に見舞われています。繰り返し訪れる巨大な災害によって、私たちはあらためて自然の驚異を痛感しました。そして同時に、日本の政治や経済・社会システムが決して盤石ではないこと、むしろさまざまな矛盾や困難にさらされ、苦悶(くもん)していることを思い知らされました。私たちのよって立つ日本社会は、思っている以上に脆(もろ)かったのです。  災害のたびに、私たちはこれから日本社会が根底から変わっていくと期待しました。変わらなければならないと考えました。しかしながら、はたして日本社会は変わったのでしょうか。なるほど、災害のたびに新たな制度や仕組みが導入され、危機への対応能力は確実に進化しているはずです。にもかかわらず、私たちはいまだに日本が真に強靭(きょうじん)な社会になったという実感を持てずにいます。むしろ「変わらなければ」という掛け声に対して、悪い意味で慣れてしまった印象さえあります。  私たちを脅かすのは自然災害だけではありません。はたして日本の政治や行政は、グローバル化の進む世界の諸課題に対応するために十分な能力を持っているのでしょうか。少子高齢化に歯止めがかけられない状況において、経済や社会保障の仕組みはこれからも持続可能なのでしょうか。そしてデジタル化やカーボンニュートラルの課題と直面するなか、日本の国土をどのように発展させていくべきでしょうか。私たちはこれらの諸問題について、世代や性別、職業や地域などの違いを超えて、これまで十分に議論を交わしてきたとは言えません。  より良い民主主義を可能にするための国や自治体の仕組み、健康で豊かな暮らしのための長期的な展望、一人ひとりの自由で多様な生き方、働き方に支えられた新たな日本社会を今こそ構想し、実現すべきなのです。  現在の私たちにもっとも欠けているのは、自分たちの社会を自分たちの力で変えていけるという自信なのかもしれません。あるいは、その道筋がどれほど厳しいとしても、この社会をより良いものにしていこうとする強い意志を失ってしまったのかもしれません。それは民主主義の危機なのです。民主主義の脅威は外から来るとは限りません。自分が何をしても無駄だ、誰かが何とかしてくれるはずだと思っているならば、それは民主主義の敗北を意味するのです。  このような民主主義の危機に立ち向かうために、令和臨調が発足しました。令和臨調とは、長期的な展望に立った上で、日本社会にいかなる改革が必要かを議論するために、党派を超えて各界から集まった有志のメンバーによる民間組織です。多くの人が希望を持って未来を展望できる社会に向けて、国民的な合意形成の一助となることを目指しています。  私たちは未来の日本社会、そして人類社会に対して責任を負っています。今こそ、共に語り、考え、そして行動しなければならない時です。私たちに残された時間は決して多くありません。統治構造、財政・社会保障、国土構想を中心に、令和臨調は不退転の覚悟で検討を進めます。多くの皆さんと対話し、一緒に考えていくことを願っています。

お勧め本→「満州暴走 隠された構造」安富 歩
タイトル  <内容紹介>
 ところが、戦後日本社会はこの「立場」を経済活用に応用して、世界に冠たる復興と発展、繁栄を経験してしまいました。
 「立場」を守るために必死でがんばったら、月々の給料が倍々ゲームで増えていく。若くして田舎から都会に出てきた、とりたてて特別な才能がない人でも会社で「立場」に従って真面目に「役」を果たせば、マイホームにマイカーを持って子どもを二人ほど大学に行かせられる。そんな「立場」の全盛期が、60年代から70年代にかけて出現したのです。
これで「立場」は我々のイデオロギーとして確立しました。
 ですから私は、今の日本の社会は、「立場主義社会」と呼ぶべきだと思っています。私たちの国の正しい名はおそらく
「日本立場主義人民共和国」
です。
 その主たる政権党である自由民主党は、だれでも知っているように、自由と民主とを軽視する政党であって、名前が間違っています。この政党は立場主義イデオロギーを守るために活動しているのであり、共産主義を標榜する政党が「共産党」と名乗るのに倣って、立場主義を標榜して「立場党」と名乗るべきだと思います。自民党は「皆さまの立場を守る、立場党」であって、日本国民の大半が立場主義者であるがゆえに、幅広く支持されているのです。

 立場主義三原則
 その日本立場主義人民共和国の憲法、これが私が「立場主義三原則」と呼んでいるものです。

  前文、「役」を果たせば「立場」は守られる。
  第一条、「役」を果たすためには何でもしなければならない。
  第二条、「立場」を守るためなら、何をしてもよい。
  第三条、他人の「立場」を脅かしてはならない。

 この三つさえ守れば、日本では平和に生きていけます。
 私のようにこれをぜんぜん守っていないと、いろいろと面倒な目に遭います。
 この立場主義イデオロギーが現代の日本社会を席巻していると私は考えるのですが、これが出現したのが明治期から太平洋戦争に至る時期です。
 石原莞爾は総力戦ができる大帝国を作るために、満州事変を企画・実行しました。しかし、それで何が起きたかというと、立場主義者たちの暴走が引き起こされたのです。
 自分の立場を守ったり、他人の立場を脅かさないために、いろんな政策が決定されていく。この連鎖が始まりました。筋道が通ってなくても、効果がないどころか逆効果でも、だれかの立場を守るためなら、それらが延々と実行されます。
 今でも会社や組織で言いますでしょう。
「それを止めると提案した○○部長の立場がなあ」
「○○部長はオレの先輩だし、オレの立場がなあ」
 このように、立場が立場を生む自己増殖運動が始まると、ポジティブ・フィードバックのループが完成して、雪玉は巨大な雪崩になって、だれも止められなくなります。英雄石原莞爾でさえ弾き出されたのは、これまで述べてきたとおりです。

 結局、日本軍は陸海軍とも、自分自身の「立場」の暴走を止められなかったのです。でも「止められない」とは言えないから、だれかが何か無茶をすると、それをあとから正当化するということを繰り返しました。
 もし正当化しないと、その人を処刑にしなければならない、それはいかん、彼も立場上、やむをえずやったことなんだから、と。彼もですが、彼を死刑にすると、その上官とかそのまた上官とか、責任論が上に行く。それはマズイ。じゃあもうOKにしちゃおう、そうしましょう、と。

 「立場上、仕方ない」がループを廻す
 かくして日本の陸軍・海軍は、暴走し始めました。この暴走システムを止めるには、だれかの立場を脅かさなければなりません。自分の立場も危うくしなければなりません。それは日本立場主義人民共和国では不可能なことなのです。できません。
 その結果、暴走は止まらず、
「いやあ、私は止めたいんだけど、走っちゃうんですよ」
 などと他人事のように言う。止まりませんから中国大陸奥深くへのめり込んでいきます。どんどん人が死にます、人を殺します。それも仕方ないのです。
 こうなるとさらに死んだ人の手前、止められません。「あいつは犬死にした」などと口が裂けても言いたくないのです。なので、もう止めましょうとだれも言い出しません。本当はだれかが言ってくれるのを待っているのですが、だれも言わないのです。
 すでに述べたように、満州事変のときも、時の若槻礼次郎首相が軍費を決済してしまいました。「出てしまったものは仕方がない」と。とんでもない話です。首相が予算を止めれば、出たものも引っ込んだのです。しかしおそらく、彼は、立場主義者に命を狙われたことでしょう。
 結局このようにして、日本国民全体が戦争に引きずり込まれて、そのツケはすべてごく普通の人々が払わされました。親・子・兄弟を戦地で喪う。国内にいても空襲で原爆で沖縄戦で殺される。家を焼かれ職や商売を失う。
 ところが原因をつくった暴走エリートたちは、(いくらかは戦犯などとして処罰されましたが)戦後ものうのうと生き残っていきます。皆で互いの立場を守ったのです。たとえば開拓団を推進した加藤完治は戦後も大活躍しました。勲章をもらって、園遊会に招かれています。
 こうした「立場上、あるいは自分の立場を守るため暴走した」連中は、実は結構生き残っているのです。そしてそれに引きずり込まれて酷い目に遭わされた人々が、補償も何もしてもらえないのです。
 中国残留孤児・婦人の方々は壮年を過ぎて帰国されたため、言葉や仕事など生活全般で苦労されており、結果、帰国者の多くが生活保護を受けていると言います。そのため国に対する損害賠償訴訟もたくさん起こされました。つまり国とそれを動かしている人々は、自分たちの棄てた人々に対し、責任を持って「帰ってきてもらう」という考え方ではなく、「帰りたいなら帰ってもいいよ」という考え方なのです。
 もう存在しないはずの人々(立場のない人々)が現れると、棄てた方(立場主義者)はとても困るのです。だから見て見ぬふりをするのです。
 こういった考え方をしてしまう、あるいは許してしまうのは、私たち一人ひとりの心の中に、「立場主義」が根強く巣食っているからだ、と私は考えます。自分がその「立場」に立ったとき、同じことをするかもしれない、同じことしかできないかも、という怯えが、心の中にあるのです。
「立場上、仕方ない」
 この言葉ほど、私たちの心に響く言葉があるでしょうか。

 暴走の本当の原因とは
「満州国」はどのようにしてでき、暴走していったのか。第二章と第三章とをまとめてみます。大きな要因は三つあると思います。
 まず一つ目は「大豆の国際商品化」です。
 これによって満州という地域に、独自のコミュニケーション・パターンができあがり、これが「満州国」が成立する条件を整えました。
 たとえばもしも、日本軍が最初に入ったのが満州ではなく山東だったら、おそらく大失敗だったでしょう。大火傷をして泣きながら帰ってきて、でもそれで済んだと思います。
 日本はアメリカに占領されず、今も独立を保っていたはずです。
 ところが不幸にして日本軍が、石原莞爾が攻め入ったのは満州でした。そしてシンプルなコミュニケーション・パターンのツボを掴んで、大成功してしまいました。
「なんだ、簡単じゃないか」
 そしてこの副作用として、死刑になるはずの石原が英雄になりました。
「結果さえよければいいんだ」
 これらがその後の日中戦争、そしてアジア太平洋戦争へと暴走した大きな要因だと私は考えます。

 二つ目に、「総力戦への対応」です。
 世界が「総力戦」の時代に突入し、日本は自分自身を守れない、と石原莞爾は思い詰めました。この衝撃は、ごく少数の陸軍エリート以外ははっきり理解していなかったと思います。
 ただ、不安にはなったでしょう。
 大一次世界大戦というなんだか想像を絶するようなすごい戦争が遠くで起きて、ドイツ・フランスという大国同士が、両方とも滅びかねない、というところまで殴り合った。このままだとたぶん日本はマズイ。
 特に陸軍内部が沸騰します。そんな戦争、ぜったいできない。しかし立場上、できないとは言えない。この不安を抱えていたから、満州事変が起きたときに飛びついてしまったのです。不安なときには、それを一発で解消してくれそうなイベントとか人物とかに、すがりつきたくなるものです。そういう精神構造ができてしまっていました。

そして三つめが、「立場主義の暴走」です。
「守られる王」たる天皇制を基礎にして徴兵制が布かれ、それによって家制度が崩壊して、「立場」が前面に出る時代になりました。
 人々は己の立場を守るためになんでもしました。その行動にどういう意味があるのか、効果があるのかよりも、「その行動によって自分の立場がどうなるか」を優先して動いたのです。その結果、他人の土地を蹂躙して傀儡政権を作り、そこにまるで無駄な資金と資材と、そして人間をせっせと突っ込んですべて失う、そういうシステムができあがり、それが暴走し続けました。

 これらが組み合わさって、「満州国」が成立し、それによって大日本帝国は滅亡した、このように私は理解しています。
 ただ、これはもちろん証明できていません。単なるお話、エピソードの羅列、それを都合のいいようにつなげただけ、かもしれません、いや、どうぞ、そう思ってください。
 こんな法螺話、皆さんは簡単に信じないで、どうかご自身で一度、一度と言わず何度でも、考えてみてください。
 なぜなら、この暴走システムは今この瞬間も日本のあちこちで動いているからです。いや、日本そのものが今も、この暴走システムで動いているからです。その暴走の本当の原因を見出さなければ、大変なことになります。私の主張は、そのための足がかりに過ぎません。本当の理由を、私は知りたいのです。