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できごと:
 大小いろんな波にもまれている内に一年が経ちました、いかがお過ごしでしょうか?塾では時々当方が乱心し強い語調になり、その度に生徒さんに辞められます。これからは怒りに駆られて鉛筆を折ったり椅子を蹴とばすのはやめようと誓いました。
 生徒さん達は点数あげようと思っている人は上がっているように見受けられます。塾はアミューズメントパークという心得の人は、何か自分の心を楽しませてくれるものを見つけようとします。
 小学校5年の算数の教科書の裏に「豊かな学びが未来を開く」と書いてあります。きれいごとだとかたづける方もいらっしゃるでしょうが当塾もそのつもりで毎日学びをサポートしています。いずれの道に進むとしても学びは必要です。
窓
 12月1日NHKを見ていましたら「あいみょんコンサート甲子園」をやっていました。
 高校生の頃、先生との懇談会で「歌手になりたい」と話したら「夢のようなことを言っていないで勉強に集中しなさい」と言われたそうです。僕の言いそうな言葉です。
 この問題はどう考えたらいいでしょう?
 あいみょんは見るからに勉強好きでなさそうで、実際好きでなかったようです。結果的に甲子園に四万五千人の観客を集め歌手として大成功しているわけですが、では生徒さんが「勉強好きでないから芸能人を目指したい。スポーツ選手を目指したい」と言った時に「あいみょんの例もあるから、はいどうぞ」と言えるかという問題ですが、

 話変わりますが、中3の国語の教科書に「誰かの代わりに」(鷲田清一)が載っています。抜粋
「自分にしかないものは何だろう。」
「自分には、他の人にないどんな能力や才能があるだろう。」
こんなふうに考えたことはありませんか。
「自分とは何か」という問いは、哲学者や思想家だけでなく、十代の若者から中高年まで、世代を超えて、誰もが問わずにいられない時代であると思います。
その理由として、今の社会が、これまでの時代に比べ、個人に、より大きな自由が保障されている社会であるからだということができるでしょう。自分の意志で人生を選び取っていくことを理想とする社会。何にでもなれる可能性のある社会。昔の封建制の下でのように、個人の自由が厳しく制限されていた社会よりも、ずっと居心地の良い社会だといえそうです。しかし、ここには自由があるからこそのしんどさがついて回ります。
何にでもなれる社会。これを裏返していえば、その人の存在価値は、その人が人生において何を成し遂げたか、どんな価値を生み出したかで測られるようになる、ということでもあります。「何をしてきたか」「何ができるか」で人の価値を測る社会。そこでは、人は絶えず「あなたは何ができますか。」「あなたにしかできないことは何ですか。」と他から問われ、同時に、「私には、他の人にはないどんな能力や才能があるのだろう。」と自分自身にも問わなければならないことになります。「あなたの代わりはいくらでもいる。」「ここにいるのは、別にあなたでなくてもいい。」と言われることがないように、自分が代わりのきかない存在であることを、自分で証明しなければならないのです。こうした状況は、先ほどの「自分とは何か」という問いを、「こんな私でも、ここにいていいのだろうか。」という、何とも切ない問へと変えてしまうことがあります。
そのような問いに直面したとき、私たちは、その苦しい思いから、今のこの私をこのまま認めてほしいという、いわば無条件の肯定をもとめるようになります。何かができなくても、このままの自分を肯定してほしいと。 省略

僕なりに考えるあいみょんの成功方程式は、本人の素直な性格、路上ライブなど気持ちが折れる苦難を顔に苦労を刻まずにやり続けたこと、時代が学歴や肩書などを身に付けていない素直なキャラクターを求めていたこと(自分と同じ気持ち、感覚の人)などが相まって一千万分の一のめずらしい確率でうまくいった事例だと思います。
まず誰でもなれるものではない、やり続けられる根性、財力があるかどうか、
話飛びますが、学びには「頭を柔らかくしてくれる、物の見方が広がる」という意外な効果が学歴獲得以外にあるということも学びを捨てたらあかんのもう一つの理由です。
結局何を言いたいのか「勉強」か「好きな道」かではなく「自分の道」「自分を豊かに形作ってくれる道を選んでいくべきだと言いたいのでしょう。つまりある程度の所までは勉強について行く、体力等見極めがついたら自分の道へと舵をきる。勉強を利用できるところまでは利用する。

親御さんの声
 一次方程式の文章問題に苦戦していることがあります。先生に教えていだいたくと理解できるようなので何卒よろしくお願いします。
苦手な社会も塾で学習すると知らなかったことを教えてくださり楽しいようです。今後ともよろしくお願いします。
 
 期末試験対策などで一次方程式の文章問題やりそびれています。期末試験の見直しが終わったらとりかかります。
 社会、特に歴史だけは、ある人が言っていましたが「本当のことを教えていないので詰まらない。」
人間の歴史はどぎつすぎて小学生や中学生にオブラートに包まないでどう教えたらいいかというのはこれまた永遠のテーマでしょう。主役の座を蹴とばされて、次の主役が自分たちのいいように歴史を書き換えてきたのが歴史ですから、上塗りされたうその中に本当の歴史を見つける醍醐味があると言えばあるのですが。少しどぎつい泉田塾の歴史に彼つきあってくれるでしょうか。
生徒さんの声
 数学の文章題が苦手なので練習していきたいです。また苦手な社会や国語もがんばっていきたいです。
大学入試の共通テストの数学の問題解いていても、問題文が何を言っているのか、どうしてくれと言っているのか理解するのに時間がかかることがあります(人間がつくる問題なので)。ですから数学の問題とはいえ、すぐ取り掛からずに問題の意味がよ~く分かってから取り掛かるべきです。その問題パターンになれてしまうまではじっくり時間をかけてやるべきです。余談ですがこちらが老いぼれてきたせいか大学入試共通試験など問題量が多くて絶えず急いでいないとダメなところが苦しいところです。
 ふつう試験屋さん(テストが上手な人)は沢山の問題をやらされてきたので、もはやこの問題はコレ、あの問題はアレとパターンで解いてしまっています。
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