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できごと:
 夏ですね。いかがお過ごしでしょうか?なかなか成績の上がらない生徒さんを褒める言葉として、暑い中で部活して急いで夕飯を済ませ塾に駆け込んでくる。よくやっていると思いますよ。上がらないですけど。
 現代では勉強ができる=スゴイではなく、基礎的財産として勉強、学歴カードはあたりまえ。たとえば勉強は必要ないと思われるタレントでも柴田理恵とか北野武とか明治大学。その上でのプラスαの魅力が必要なのでしょうね。元サッカー日本代表波戸選手は日本将棋連盟親善大使だったりします(将棋二段)。プラスα=自分の勝負球つくりでしょうか?
 言いたいことは勉強はやはりベーシック(基礎として)に必要だということです。
論評:
 当方の話題は新聞や雑誌で見かけた記事が多いのですが、以前どこかで読んだ記事のうろ覚えを二つ。
 市役所の職員だった人の文章で、「対面するお客さんの発言・行動はその時点でそのお客さんの真実なのだ」生まれ育った環境、持って生まれた特質、事ここに至った経緯などでやむにやまれずそういう状況に至っているということなのでしょうか。哲学的な難しい内容の発言です。ま、単純化して言えば丸ごとあるがままにお客さんを受け入れよということでしょうか?出典を記録しておけば良かったです。
 もう一つはもっと分かり易いです。女性で初めて中央官庁で偉くなった(たぶん)人の記事で「東大、東大と人は言うが東大出の持ち味は『うどんこ』だ。つまり運・鈍・根だ。」鈍であり根気がある。同じことを粘り強く続ける力が並外れている。ま、とっつきにくい相手、いやなやつということになりますでしょうか。
エピソード:
 布団の綿を打ち直してくれるところがないかと砺波の矢木の大木ふとん店に行ったら打ち直し(6000円)てくれて、おまけに日干しして返してくれました。さて、店先で座って当方の住所など書いている時足元でグルグル動くものがあっちへいったりこっちへいったり。「これ何?」「ルンバ。」「わたしこれ大好きやわ~」の一言でルンバ買いました。ついでに雑巾がけロボットも。
親御さんの声
 いつもお世話になっております。けっこう危ない入試も、なんとか無事高校に入学できて、本人も少しやる気になっているようです。  中学の頃と比べて勉強時間も大幅に増えて、頑張っている娘を喜ばしく見ています。ただ、時間をかけた分ほどには結果がでていません。まだ自分なりの勉強法なり工夫が分らないようです。やる気と時間は充分なので、効率や物の考え方なども教えてやってもらえると嬉しいです。
 中学と高校の勉強には大きなギャップがあるようで(特に数学)、昔KNBのアナウンサーの奥さんが塾にある数学の参考書を見て、「高校から数学についていけなくなったわね。」というようなことをおっしゃったことがありましたし、従妹の娘が中部に入った時も一年生の時は泣いていたようです。
 娘さんの頑張り嬉しく当方も見ています。しかし数学の順列、組み合わせ、確率の箇所などで具体的に数えるには場合の数が多すぎたり、微妙に当てはめる公式が違ってくる問題をやっていると「高校生って大変だなあ、ほんとに全員こんなのについて来れるんだろうか」「ついて来れないのは素質がないから」と言い切ってしまいたくなる時がありますが、なにしろ当方が自分が素質がないことを一番自覚していて、それでも大学受験ぐらいは素質じゃなくて「馬力」で乗り切れることを証明した人間なもので、気持ち次第で何とでもなると考えています。
 ただ、キチンと真面目にノートを取らないと気が済まないタイプの人の中には、事柄の理解よりキチンとノートを取ることの方に力が入って「理解」は二の次三の次になる傾向の人がいます。相手(学習というものをつくりだしている人)が何を考えているか、その関心を自分の関心にできたら言うことないです。なんか硬いこと書いていますが、脳ミソはこきつかえば開発される(頭がよくなる)ことを信じて、やり続けましょう。
 ちなみに田んぼの田植え(手植え)や斜面の草刈りは無限大に見えますが(昔数えたら田んぼ一枚で8000本でした)、いやになったら別の田に移ったり、「今日はもうやめ」と気分を変えてまた次の日にあらたなやる気が出てきた時に再度とりかかります。ちなみに受験時代の僕の問題集で鉛筆で突きまくりにされた箇所は一か所や二箇所ではありません。
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