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できごと:
 日照りと言ってもいいくらい雨が降りませんでしたが、ようやくまとまった雨が降りました。この雨空が上がった後は暑い夏がやってくるのでしょうか。この塾便りが出る頃には期末試験の結果が出ているでしょうか。果たして結果はいかに?助走期間が十分でなく不完全な準備のまま期末試験に突入しましたが、この状態で良い結果であれば本人のやる気、本気度は本物でしょう。北陸中日の6月30日(金)の「本音のコラム」欄に北方領土鈴木宗男関係で刑務所に入ったことのある元外務官僚の佐藤優さんが「ドリル式英語学習法」なる記事を書いていました。彼は同志社大学の神学部の客員教授ですが希望者には英語、神学の課題を出し、メールで英語×勉強時間、神学×勉強時間を報告させているそうです。野放しにして放任するのではなく追い込んでいくという感じでしょうか。真似をしなくてはと強く思いました。
論評:
 勉強していて感じた「こんなこと勉強して何の役に立つのだろう?」いまいち熱中できない縁遠さ。
 自分の心のエンジンに火がついた状態になった時に前述の状態から脱却できる。
 この勉強の先に自分の座席(地位)が上がっていくことを実感できるときに頑張れる。
 この勉強が「自分のしたいこと」につながっているとき頑張れる。
 発表される近々のテスト結果も励みになる。
 解けなかった問題が解けるようになった。分かるようになった、技術が上がったも励みになる。

 逆に考えてみます。
 自分の心のエンジンに火がついていない時、「こんなこと勉強して何の役に立つのだろう?」という気持ちになります。人はどういう時にエンジンがかかるのでしょうか?どうしても、その勉強の先にある資格を手に入れたい時。学校の雰囲気、教師の雰囲気が自分と一致した時。学校・教師が目的をもって教育をしていて、生徒達がただ社会のコースを歩かさせられているだけと感じるようなことがない時。
 そして、エンジンがかからないのは自分の因子、資質が今取り組んでいる勉強に向かないからというのがありますが、勉強は「記憶」し、「理解」しがどうしても基本になり、この「記憶」「理解」の個人差は大きいです。ここで自分には向かないとすぐに転進するのはへたをすると何をやっても一か所に落ち着くことのない人だという評価につながりかねません。余談ですが二十歳の頃勤めていた会社では転職17回、ついに居場所を見つけたと豪語していた人がいました(若くして部長だったかな)。そしてNHKの「ドキュメント72時間」という番組の6月30日大型トラック運転手の回で、「お仕事じゃなくて好きなことやってるんで他の仕事いいなとか考えたことないですね。あんまりストレスもなく好きなことして、それでお金になる生活ができる。こういうのを天職って言うのですかね。」と言う人もいれば「(子供には)勉強してちゃんとした仕事に就いてほしい。(公務員、大企業は)楽してまともに稼げる。若い時遊びまくると苦労して金を稼がな、いかんじゃないですか。」と言う人もいました。実に様々な運転手がおり、勉強の先に楽があると考える人もいれば、今この仕事が幸せと考える人もいます。話を元にもどします。「記憶」「理解」には個人差が大きいです。誰もがプロの運動選手になれるわけではないように、この個人差も大きいです。知識ということから入っていくことに頑として無意識に抵抗する頭脳型があります。こういう人が結構多いので逆に知識習得だけが優れている人がいわゆる良い学校、良い就職(公務員とか大企業)へ進んで(得点だけ優れていればよい)、世の中を面白くない方向へとねじまげるのです(そのように思われませんか)。誰もがプロの運動選手並みの運動能力は必要ありませんが、知識の習得を怠り、知識の習得を一つの頭脳タイプの人に独占されるのは困ったもんです。万人がたとえ亀の歩みでも知識の習得に励まなくてはいけません。ここにゆっくりでも知識の習得をアシストするところに塾の役割があると考えます。
エピソード:
 エピソードというより反省ですが、一学期の中間試験と期末試験のあいだはとて も短いです。塾に来る日と翌日にある試験科目がうまく合わないことがあります。
 そんな時は塾に来る日を変更して試験に間に合うように柔軟に変更可能とした いと反省しました(そのように既にしている人はいるのですが)。更に試験後の塾 に来る日を試験前に持ってくるとかもあり、ということにしたいです。

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