>> 泉田塾 情緒・環境のHP せんだじゅく
泉田塾たよりのページへ
月画像
月タイトル
できごと:
 少し寒くなってきました。いかがお過ごしでしょうか?生徒さんの中には「依存」から「独立」への兆しが感じられる人も何人か見られます。成長していくんですね。
 こちらは依存されないと成り立たない商売ですが、手持ち無沙汰の時もあります。
論評:
 むか~し東京で塾をやっていた頃、生徒さんから聞いた話ですが「学校は勉強の優れた生徒を選び出す場所で、他の多くの生徒はそれに付き合わされているだけだと学校の先生が言っていた」と聞きました。
 中学校では夏休みが明けるとすぐに運動会がありました。「勝負」というより「みんな仲良く勝ち負けなしよ」の運営方針かと感じられました。
 何を言いたいのかと言いますと学校は「エリート選抜」と「みんなの学校です」の間で運営が難しいだろうなということです。
 国際社会との競争という御旗の下、難しい問題をどんどん課すタイプの教育か
落ちこぼれが出ないように一人一人の学びを大事にするタイプの教育か
ということですが、
 当方は富山高専を出て長野の黒田精工という工作機械メーカーに二十歳で就職しましたが、やはり職場では大学出かそうでないかで見えない社会の壁があるなと思いました。社内には富山工高を出て設計でどんどん活躍している人もいるにはいましたが「例外」ですね。
 それで「大学」を受けることにしましたが、それもエリート校を目指しました。しかも東京で。その過程で感じたことは日本社会の見えない「二重構造」でした。 ずばり、エリート校と職業校では勉強内容が違うということです。 社会一般では大手有名会社と下請け中小会社群との構造です。

 ここでいきなりですが「競争社会で勝つ」ことを目指す哲学(考え方)と「みんなが生き生き生活を送れるにはどうすればいいか」を目指す哲学(考え方)では対処法、社会の設計図が違ったものになることは意識しておかなければならないと思います。

 エリート養成は中高一貫校が受け持ち幅広い教育は「民間教育機関」に任せるとかいう発想ではなく、できる人とできない人が同じ釜の飯を食い、同じ課題に挑戦するという「ごった煮」を目指すのが良いと思いますがいかがでしょうか?

 ある人は言ってました「世の中には、『だめでないけどだめなところがあるやつ』と『だめだけどだめでないところのあるやつ』しかいない」と。
エピソード:
 世の中には私以上に変わった人が沢山いて、八尾の田んぼへ向かう途中、八尾コンクリートの近くの家の前に道路に向かって「格言」を張り出している人がいます。最近のは「信を育む」、「恵みに気づく」、「自己中心に気づく」です。
泉田塾たよりのページへ