>> 泉田塾 情緒・環境のHP せんだじゅく
泉田塾たよりのページへ
月画像
月タイトル
できごと:
塾内に生息している中川先生が恩師が石川高専校長を最後に退官したということで退官記念講演に金沢まで行ってきました。お土産に「高専教育断簡 磨き 創り 拓く」という記念出版物をもらってきました。その中にCOEという言葉が出てきました。最高経営責任者だと思った方は、それはCEOでございます。さて何でしょう?答えは、国際水準の研究あるいは組織横断型研究  だそうです。ちょっと自分の時代遅れに焦りますよね。
論評:
 小学生の国語の授業で漢文が出てきました。「温故知新」。書き下し文では「故(ふる)きを温めて新しきを知る、以って師となるべし」ですが、これに返り点、送り仮名をふってみました。僕の解答は→ 温メテキヲ而知シキヲ、可正しくは→温メテキヲ而知シキヲ、可一レ ここで言いたいのは、どうして自分の解答が ×なのか、どうしても受け入れることができないという心理状態に陥ったことです。生徒さんの中に自分の主張を言い張り正解を受け入れようとしない事態が時々起こりますが私自身がそうなってしまったわけです。納得のいかない僕は何時間もネットを検索し、ついに同じ悩みの人を見つけました。(ヤフー知恵袋)その人の質問(以下引用) 漢文の返り点について質問です。
温故而知新、可以為師矣
という文がありますが、私は、 温(レ)故而知(レ)新、可(二)以為(レ)師(一)矣
と返り点をつけたのですが、実際には
温(レ)故而知(レ)新、可(二)以為(一レ)師矣
でした。
私が答えたほうでも、読めると思うのですがどうして間違っているのでしょう?
分かる方、詳しく教えて下さい。よろしくお願いします。

それに対するベストアンサー(以下引用)
温故而知新,可以為師矣。
故きを温ねて新しきを知れば,以って師為るべし
あなたの返り点では,書き下しは不可能です。

(一)は,その上にある文字から(二)の上にある文字に返るという決まり事になっていますから,あなたの返り点では「師〕から「可」に返ることになり,(レ)および「為」が意味をなさな くなります。
温(レ)故而知 (レ)新,可(二)以為(一レ)師矣。
という返り点しかあり得ません。

(引用ここまで)

(一)のついた字から直接(二)のついた字に飛ぶ この規則を知らなかった僕は自分の解答に固執したわけです。そして自分の間違いに気づいた僕はようやく正解を受け入れることができました。この体験を通してはじめて生徒さんの間違いを言い張り、正解を受け入れようとしない態度が理解できたのでした。東京で「御茶ノ水学習クリニック」という塾を開始してから40年後のことです。
エピソード:
 生徒さんのスマホをいじっていて、画面上のボタンを強く押したら(ガラケーのくせで)、生徒さんに叱られました。「そっとなでるのですよ。画面に指で触れると発生する微弱な電流を検知しているのです。」と一本とられました。昔人間はあの軽いタッチの新文明が苦手なんですよね。
塾長の自由研究:
 乗っている軽トラが5速に入れても低速なので、5速でもっとギア比の値が小さい車がないか調べてみました。その過程で頭が混乱してしまいました。どうも自分の望む5速でもっと回転の上がる車はギア比が「高い」というらしいですが、ギア比とは何かといいますと、タイヤを一回転させるのに必要なエンジン回転数ということらしい です。で、高速にするにはタイヤを一回転させるのにエンジンを何回も回さないようにすればいいわけで、つまりギア比を落とせばいいと自分は考えるのに、世間ではそれを「ギア比を高くする」と言っている。???となりましたが、ある人が「ギア比が高い=ギア比(の値)が小さい。ギア比が低い=ギア比(の値)が大きい。」と明確に書いてくれていて疑問は解決したわけです。生徒さんはこれから学習を続けていく場面でこれとよく似た専門家の常識≠素人の常識という場面に出くわすことになるでしょう。何でギア比が小さいことをギア比が高いと言うようになったのか、まったくまぎらわしいことです。しかし学習にはこれが多いんですよね。用心用心。
泉田塾たよりのページへ