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できごと:
 日が暮れるのが早くなってきて、冬の足音がすぐそこまで聞こえるような今日この頃です。いかがお過ごしでしょうか?新湊南部中の文化祭に行ってきました。塾ではこちらの得意な科目を叱りつけるような感じで教えることも多く、頼りなく感じる生徒さんも学習発表作品を見ると意外としっかりしているので圧倒されたと言いましょうか認識を改めさせられたといいましょうか、ていねいだったり工夫のあとが見てとれたり「汗」や「意欲」を見るのは気持ちのいいものです。また少し気になったのは教えられることに従順すぎる姿勢が感じられたことです。出された課題だし中学生と言えばそんなものでしょうか。
論評:
物置を片づけていて27年前に中一だった生徒さんのびっしり書き込まれた問題集のコピーがたくさん出てきました。たぶん教材研究に熱心だった当方が写させてくれと頼んだのでしょう。たとえば、写真ウについて次の問いに答えよ。(1)この寺を何というか→法隆寺(2)この寺を建てた人物はだれか。→聖徳太子  地図上(ア)のターチンで生産が多い地下資源は何か。→石油 といったような問題です。ずばり言ってこんなこと山ほど覚えて何になるのだろうという気がしないでもないです。まあこれまでの人間の歴史を知り、現在の世界の状況を知り、つまり「学」ヲ修メ「業」ヲ習フということなんでしょうけど。それならそれでターチンの石油産出量が中国全体の産出量の何%を占め、中国の石油産出量は世界の石油産出量の何%を占め、現在世界の石油戦略の傾向を調べるとか、ただ覚えるのではなく「学」に深みと巾がつくようにしたらいいと思うのですが。あるいは「ターチンの石油」からどんな素人発想が思いつくか語らせるとか。言いたいことはただ詰め込むだけの教育は時代遅れ、役に立たないということです。そして物置を片づけていて出てきた昭和61年の「私の教育革命宣言」井深大 によると明治になるまでの教育は儒教で「人間の行動の指針」を学んだと、明治になって「知識とか物を追求する教育」に変わったと。特に工業の人材養成が国策だったと。つまり専門家集団養成で大きな国の方針は別に一部の一握りの法学部出身者に任されているシステムが完成し今に引き続いていて弊害が頻出していると。そして昔の儒教の「人間の行動の指針」にあたる心に栄養をあたえる教育が「競争、競争」の現実の中できわめて貧しいと。最後に、その生徒さんはある私大の広報メディア学科に進んだという話ですから、そういう意味では自分で道を選んだのでしょう。
親御さんの声
 一問一問を自分なりに人に説明出来る様に理解をしてくれればいいな~と願っています。        完
   人に教える、説明するというのは自分が本当に理解しているかどうか確かめる一番いい方法だとわたしも思います。あまり大きな声では言えませんが生徒さんが帰った後、授業中の説明であいまいだったところをパソコンで調べることが多々あります。その度に世界は広いな~とか自分は何も知らないな~と思うわけです。
 最近、少し塾に通うことに慣れてきたようです。自分にあわないと思えばとっくに「もう無理」と言うはずなので、とりあえず安心しました。 今後ともよろしくお願いします。
   そうなんです。現代のお店はお客さんの「自分に合わない」の一言であっさり切り捨てられる運命にあり、そこがつらいところです。逆に言えば今いる生徒さん達は派手でないところか素朴なところか、どこか当方が無理しないでいられるところがあり当方も居心地がいいです。
 これから受験までよろしくお願いします。
   教えていて基礎的なことを知らないなと感じたりしたことがあったのですが、見せてもらった点数を見ましたらとても良かったので、これなら受験まで短期間ですけどなんとかなると思っております。
生徒さんの声
これからも勉強ガンバリます。 よろしくです。          完
  「ぎんぎらぎんにさりげなく」という歌の作詞家 伊達歩 は作家 伊集院 静 のペンネームですが彼の「きみとあるけば」が中一の国語の問題になっていて、その中に「よく目を開いて、まわりのものを見てごらん」そうすれば、人が自分を見守ってくれていることも、皆が何かを懸命にしていることもわかってくるような気がする。という一節があるよ。
これからよろしくお願いします。  目標に向かってがんばります。
  君の前向きな姿勢は必ず実を結ぶことでしょう。
エピソード、生徒さん向けコーナー、塾長の自由研究
 お休みします。
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