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できごと:
 塾内の様子は、たとえて言えば緩い上り坂を淡々と登っている感じでしょうか。コツコツ地道に当たり前のことを当たり前にやっている日々です。輝かしき成績アップがあれば親御さんも塾もとても安心するのですが…。輝かしき成績アップはやはり一途になることが必要で、それが最大価値にならなければいけないのですが、勉強ばかりが価値じゃないというようなことを当方も言ったり考えたりしていますので、その影響かなかなか勉強一筋の子はいませんね。余裕を持って勉強一筋だといいのですが…。他のいろんなことに興味を持って他のこともやっった上で勉強もおざなりにしていない。だといいのですが…
論評:
また北陸中日新聞(数か月前の)なのですが、 ここから記事引用→深夜にふとテレビをつけたら「ワイドショー」という、にぎやかなトーク番組をやっていて出演者の一人武田鉄矢さんの発言におもわず釘付けになった。「子どもっていうのは教室と、親の見ている所では育たない。」そう言い切ったあと「子どもを教室と親の目から外すことが俺たち芸能人のなりわいなんだ」と念押ししたのである。学びといえば、人はすぐに勉強を思い浮かべる。勉強であるからには勤勉や努力がいつも要求される。けれどもわたしは学校での勉強は学びの基本ではなくむしろ学びの特殊なかたちではないかと、ずっと思ってきた。学校では「集中」という名のもとに見る、聴く以外の感覚を封印することが求められる。全体の気配とその微細な変化に注意を漂わせておくことが気が散っているとなじられる。しかし人がどんな状況にあってもしぶとく生き延びるために必要なのは逆のこと、つまり全体に目を配り微かな異変にもすぐに反応できる、そのような知と感受性ではないのか。( 中略)いまある社会の秩序の内部で勝ち抜くために、あるいはそこから落ちこぼれない様に先生から親から「しっかり勉強せよ」と言われる。しかし学びの射程は本来それよりもはるかに長いものであるはずだ。人類の歴史は国家の歴史よりもはるかに古いからだ。戦争や原発事故は、いまある社会の秩序がいつでも崩れうることを教える。ひとがいつ難民になるかもしれないと教える。そんな時にあってもしかと生き延びてゆくために、わたしたちが身につけておかねばならない能力とは何か。そこから学びということを考えなおす時期に、いまわたしたちはあるとおもう。いまある社会の秩序のなかでうまく立ち回れるよう学校や親が敷いたレールの上を走る、ということではすまないのである。(後略)←引用ここまで なるほどなと思わせる文章を書いたのは鷲田清一(京都市立芸術大学学長) 当方も教えていまして、なんじゃこりゃと思うことがあります。つまり勉強とはひたすら「覚えること」と「あたえられた課題を理解すること」に限られるからであります。つまり新しいものを生み出すことをやらないのです。その点芸能界の人の中には一目(いちもく)も二目(にもく)も置かせる人がいます。
エピソード:
 またNHK「アサイチ」情報ですが井桁容子さんてご存知でしょうか、僕も知りませんでしたがこんなひとです。(引用) <頭ごなしに否定しないで子どもに理由を聞く―子どもが伝えたいこととは?> 「叱る」というのは理性が働いている状態です。「怒る」というのは、自分の感情をそのままぶつけてしまうこと。怒るときがあってもいいけれど、怒ってばかりだと、子どもは「ママは怖い」と思うだけで、本当に伝えたいことは伝わりません。  ママたちが怒ってしまうのは、「何回言っても言うことを聞かないから」「同じことを繰り返すから」など、いろいろ理由があると思いますが、知っておいて ほしいのは、子どもに悪気はないということです。ご飯をこぼしたり、物を壊したりしてしまうのは、経験不足や好奇心の表れなのです。結果的にママが困るこ とになるのですが、最初からママを困らせようと思ってやる子はいません。  子どもには子ども側の理由があるのに、頭ごなしに「何やってるの!」と言われるから、「だってー」となるわけです。普通の声で「どうしてそうなったの?」と聞けば、「○○だから」と子どもも普通の声で答えるので、怒鳴り合いにならずに済みます。  まずは子どもの気持ちや理由を聞いてください。これは自己主張させるということであって、甘やかしとは違います。子どもの気持ちや理由を聞いたら、「そういうときは、こうするとうまくいくよ」と失敗しないやり方を教えたり、「○○だから、やめようね」とやってはいけない理由を教えましょう。  子どもが自分で説明できないときは、「テーブルにぶつかったから、花瓶が倒れて水がこぼれちゃったのかな?」「花瓶を動かそうとしたら手が滑って、倒れ ちゃったのかな?」というように、推察できることを挙げてみましょう。自分の気持ちや理由を言葉にしてもらえることはうれしいことですし、子どもはそういう人を信頼し、その人の言うことは聞いてくれます。
親御さんの声
 早いものです。お世話になり一年になります。 親としては塾日にプリント的なものの復習、予習をして頂けたらうれしいです。 よろしくお願いします。
   たしかに「なんかこんなことを書いたら〇がついたな」感覚でサッと答えを書いてしまう場面があります。つまり頭で考えて書いているのではないという場面です。そんな時、本当に理解しているのかと確認プリントをやりたくなる気持ちは当方にもあります。それを本人にやらせるのに嫌がるので手こずることがあります。そこで当方思うには、学校で「これやれ、あれやれ」、習い事で「これやれ、あれやれ」 「これやれ、あれやれ」の連続で、子どもの成長に必要な「自分の興味で自発的に」行動する時間が欠けているのではないか、もっと自発的に行動する時間がこの子には必要なのかしらと感じてしまうのです。プリント類をドンドンやらせるのにやぶさかではないのですが。思いきし自発的に行動した子供時代が大人になってからのバネを生み出すのでは?などと考えたりします。どうにも遊んでいるような勉強しているような勉強スタイルになってしまってすみません。わかってないなと感じた時はビシバシ復習プリントやらせます。
生徒さんの声
お世話になります。まだまだ勉強します! 完                ひな
  君には心の要求がありますからな。ま、ひとは心の要求にしたがうしかないのかもしれませんな。でも「勉強します!!」はわたし嬉しいです。
生徒さん向けコーナー、塾長の自由研究
 お休みします。
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