できごと:

 暑いですね。私が子供のころは32度が最高気温でしたが今は37度までいきます。その割には皆さん大騒ぎしないのが不思議です。地球温暖化(人間の経済活動の負荷の結果)が原因なら全世界一丸となって腰を上げなければ明日はない、かもしれないのに。

 塾内の様子はと申しますと当塾に来ている生徒さんの特長は受け身な姿勢ということと、簡単な凡ミスが多いことです。まるで勉強は自分の課題ではないかのようです。一方私の方にも遠慮があって知識を覚えたり理解したりするのは当方にはさほどの負担ではないのですがむしろ喜びですが、それが負担であったり喜びがない人もいるのかと。つまり塩加減がわからないのです。もっと強制しなければならないのか今でも強制しすぎなのかと。生徒さんから今自分はこうだからこうしてくれというアピールをしてほしいです。怠けたいというアピールは困りますが。

論評:

三者懇談会で親御さんは安定した道へ進んでもらうことを期待しておられ、生徒さんはなんとかなるさ、どこ吹く風調であることがわかりました。さて当方としましては硬い岩盤のようにそびえ立つ学力の壁を一緒に登ることによって全く歯が立たないものではないこと手に負えるのだということを生徒さんに実感してもらうのがミッションでしょう。一角だけでもこじ開ける、少しでも高みを経験し高みからの風景を眺める。相手を岩盤と感じない。がむしゃらに登る。その時ばかさ間違えました若さが大いなる威力を発揮します。一途にがんばって欲しいです。

エピソード: 

 夏期講習も人が集まらないので八尾(農業)へ行くことが多いです。ある時広い県道のそばの歩道を自宅の前だからということでしょうが草むしりしている老婆に出会いました。そういえば昔は感覚として道や川は「おらとこの道」「おらとこの川」という感覚があったなと思い出しました。おらとこの道やから自由に遊んでいいんだ、大事にしなければならないんだと感じていました。今はセンスとして国土交通省の管轄だから県の管理だから、そっちへ文句言いに行こうというセンスになっていると思います。なにか寂しいとこありますね。

 塾長の自由研究:

 県の土木の部長をやっていた人の奥さんで昨年なくなられた方から桑の木をもらったのですが、いくら待っても実がならないのでそれがオスと判明。仕方ないので山のメスの桑の木を挿し木することにしました。ところがこれがなかなかうまくいかないのです。何度も枯らし、今ようやく10本以上植えた挿し木の2本に2mmぐらいの芽が出てきました。6月10日から待つこと二か月。寒くないか、水が欲しくはないか、水のやりすぎではないか、いろいろ気を配りながらの二か月です。何を言いたいかと申しますと「芽を出す」のは大変なケアと辛抱が必要だということです。そして生徒さんに桑の木の挿し木への挑戦をお勧めします。二つのやり方の内辛抱が必要なのは6月に植える方法です。