できごと:

 夏休みに入りました。日々さっさと過ぎていきます。A君は自分の成績のことはさておき「新しい生徒が入ってきたか」とか「夏休みの申し込みはあったか」とか塾の経営のことをしきりに気にするのです。 そういうわけで最近は生徒さん一人とか二人で授業することが多くなってきています。ある意味理想的な状態ですので、これで結果を出さないことにはどうにもなりません。

 論評:

 当方の山の(山の田んぼ)友達に金沢大学の数学科を出て今は警備員のパート仕事と山間地で空き家になった家と田んぼを安く買って自給自足を目指し稲や野菜を育てている30代の男や夫婦二人とも働いていないで家の周りの畑で野菜を育て自宅の納屋を改造し「ものモノcafe」と名付けて月一回、いらなくなったものの物々交換をしたりそこでコンサートや例えば「重ね煮」の講習会を開いたりしている30代の夫婦がいます。

 今の生徒さんを見ていますと昔のオジサン的価値観「がんばって立派にならなければならない」立身出世願望が薄くなってきていて僕の知らない何か違う文化、価値観を持ち始めているように感じます。昔のように貧乏から脱出するために勉強しなくてはという共通の価値観が通用しなくなって来ているのを感じます。どう言えば勉強のスイッチが入るのかどうやったら勉強のスイッチがはいるのか私自身わかっていない手探り状態です。勉強への動機が薄いというのか叱咤激励が指導者と生徒さんでは意味が違ってやっているといいますか。ただ私に分っているのはかっての予備校時代に席を並べていた級友には三菱重工の部長の息子とか弘前大学の先生の息子とか、そこそこ地位もあり給料も安定している学歴を得ることの有利(特権)を知っている人達の子弟が多かったということは言えると思います。大学に入ってからの級友も旭化成の部長の息子とか岩手県庁の部長の息子とかそんな感じでした。当方の親戚の市の教育長だった人の息子も東大を出ています。つまりなんていうか今の勉強は一部の人達のパスポートのようになっているということです。そこをどう考えるか、尻を向けて「本まなび」(人生の生き方の学び)へ向かうのか手探りのようです。 

エピソード:

 フランスからやってきた知人が塾で自分のタブレット型PCを使いたいということでLANの端末を提供しようとしたのですが世界の趨勢はもはやWi-Fi(ワイファイ)という無線端末になっていて使えませんでした。時代遅れを痛感しました。空港でも携帯を装置にかざしてスーッと通過するような感じです。 

塾長の自由研究:

 最近、主人が亡くなって奥さんが残され畑は手に負えないからということでシートで被てしまう方が散見されるようになりました。当方も8号線でトラックの幌が落ちていたので拾って畑に2年近く被せておいて今年、はぐってオクラを植えたところ、いつもは雑草に被いつくされ負けてしまって消滅してしまうのですがオクラは大きく実りました。この方法雑草対策には意外といけるかもしれません。