雪が降ったり暖かくなったりしながら3月を迎えました、いかがお過ごしでしょうか?

 卒業シーズンですが塾内では特に変わったこともなく、ある人は水面下で基礎を築いている段階でしょうか、何も目立った成績の変化としては現れていません。多くの人はこのような時間にあまり注目しませんが、このような時間こそ大切です。またある人は学習習慣が定着しており、黙々と積み上げています。それぞれ各人の性質と段階段階があります。パーッ目の覚めるようなやる気を起こすきっかけとなる指導や話などできればいいのですが、こういうのも受け手の側のタイミングというのもあるのでは。時として生徒さんがまったく欲しがっていないのに注入しているなあと感じることはあります。生徒さんも好きでないけど、どうやらやらなければならないことらしいと悟って淡々とこなしているという妙な関係なのかもしれません。だからと言って生徒さんの好きな芸能人の話やテレビの華やかな世界の話にえんえんと付き合ってそこに彼や彼女の芽を見つけていくというのも当方のまったく苦手とする分野ではあります。

 話変わりまして最近の体験をいくつか。当方windows2000を一月まで使っていたのですがUチューブからダウンロードしたある動画をDVD化しようとしていましてハードデスク容量が足りなくなりやむを得ず、ヴィスタや7を通り越してwindows8を導入したところ勝手が違って悩ましい一時期を過ごしました。速いは速いのですがやたらと細部にそれる脇道がいっぱいあるという感じで昔のようにメインストリート一本だけみんなこの道を行けばいいというのと違ってわけのわからない選択肢が山のようにあるのに参りました。どんどん塾の話題とそれているのでもう止めなくてはならないのですがもう一つだけ。兄が足の大動脈が詰まってカテーテルを入れるタイプの手術をしました。その際、医師が見せてくれたCT画像にびっくりしました。総天然色カラーで骨盤、内臓、血管の一本一本までが立体的にリアルに見せてくれるのです。手に取るように体の内部がわかるのです。技術はここまで進歩しているのかと思いました。

                                  泉田 ☆

 

 ついこの間、隣家のお爺さんが亡くなり葬儀のお手伝いをしていました。ここ2~3年の間に母と祖母が相次いで逝った際に、やはり手伝って頂いていたお爺さんで、当時はいたって元気、集落営農が結成されたにも関わらずそれに加入することなく、自分の農地は自分で耕すものと張り切っておられた姿は今でも忘れられません。それなのにかくも早く亡くなられるとは、本当に人の命とは分からないものだと思いました。

 ところで、我が家は現在では珍しく自宅で葬儀が執り行っているのですが、そのような経験をもっている者にとっては、ホールで行われる葬儀はいかにも流れ作業的で、何とも味気のないものだとはずっと感じてきました。それとともに参列する人たちも、弔うことよりもまるで参列そのものに意義があるように感じられるようになりました。そうしたなか、ホールの司会者が通夜での終了の際に「お別れの時間が訪れました」と言ったのは大変驚きました。私のような近所世話人は、翌日葬儀に参列するのです。そのような者にとっては実に違和感のなる言葉であり、親族の方々にとっては尚更失礼な物言いではないかと思います。そもそも通夜というのは最後の時を夜通しで共に過ごそう、という趣旨で行われるもので、決してお別れの為に行うものではないのです。その大切な時間をこれから過ごそうと言うのに、いったい何を言ってくれるのかと思いました。

 何かと会社第一の昨今、昼に行われる葬儀に参列できないから通夜で済ませるというのは、致し方ないところはありまし、それ自体否定するものではありません。ところが、そうした人達にホー

ルの司会まで合わせる必要などない訳で、通夜は通夜としての意味を考えて、しっかり執り行って欲しいと思いました。何よりも一番悲しい思いをしているのは親族や身近な人たちなのですから。ついでに申し上げると、通夜と葬儀をともに出席する際には、香典は葬儀の日に持って行くのが礼儀です。通夜の際には賽銭を出して、葬儀の際に出さないのはそれぞれ意味がある訳です。初七日の法要の際には御仏前も出したうえに賽銭も出しますが、これについてもそれぞれ意味があります。いつでもいいと思うのは、まるで「お金さえ出せばいいのだろう」と言っているように感じられてなりません。

 私がここで申し上げたことは、受験などの学業の試験で決して出てこないところです。世の中のことが何もかも経済至上主義、生産主義になっていて、それと関係のないことは一切教えられなくなったかも知れません。卒業から入学まで何かと式典の多い季節です。その実態を知るよしもありませんが、それぞれの行事が形骸的になることなく、当事者にとって意味深いものとして在るものとして、執り行われまた、参加されることを願ってやみません。

                                       中川 ☆            

 親御さんの声

 いつもお世話になっております。塾便りを一読させて頂きました。スイスの例もあろうと思いますが、子供にとって、この日本の学歴制度の波に打ち勝つのも個人の自信、方向性の多様化に結び付くのではないでしょうか。自己主張ができない子供はこの先グローバル化によって増え続けるかもしれませんが、その子供達に支えられるのも私達世代であります。私の想いは勉強が楽しくなる様、ご指導宜しくお願い申し上げる次第です。

 多くの人の意見を代表すようなご意見をいただきまして有難うございます。現実問題として日本の学歴制度は目の前に存在します。この学歴制度に打ち勝ってきたことが自信となり、自分の希望する進路に進んだ人も多くいます。勝てば官軍、それなりの切符(キャリア)をまだ手に入れることができるでしょう。また私のwindows8導入時のすったもんだの際も、わけのわからない外国サイトへと誘導され3000円相当のPC高速化アプリを買わされるはめになりましたように、グローバル化(日本のルールではなく外国ベースの土俵で戦うこと)が進み、自己主張できない人は多く出てくることでしょう。私はインドを旅行した時、本当はお釈迦様の故郷ベナレスを訪問する予定だったのですが、深夜に入った旅行業者の故郷カシミールで一週間過ごしてしまい結局ベナレスは行かずじまいでしたように。勉強が楽しくなるようにということです。私としても多少の工夫はしております。勉強が楽しくなるには、その世界に相当入り込まないと楽しくなりません。たいていは単調なつまらない導入の部分で嫌になってしまうのです。やはりオシンの時期が必要です。

 ところで昔、東京で塾をやっていた頃、ある生徒が学校の先生が言っていたといって次のようなことを言いました「学歴制度というのは自信を持ってキャリアの道を進む少数を選抜するのに多くの生徒は付き合わされているだけだ」。僕は考え込まされました。エピソードとしてご紹介します。