できごと:

 授業の時は生徒さんが2、3人で生徒数が少ないせいか静かです。村の住職さんとお話をしていて中学時代の担任でもあり部活の顧問でもあった先生が亡くなられたとか、とにかく冗談ばっかりで楽しい授業で学校生活だったとか。当塾は静かです。かと言って成績が上がっているかと言えば試験範囲を事前に十分やった時は良い点をとりますが、試験範囲勉強を生徒さんに委ねていると、やはりかなりひどい点数をとります。この受け身この受け身の姿勢が当方の理解できないところではあります。生徒さんのエンジンが点火していないでこちらのエンジンで引っ張っていかなければならない。

論評:

 兄が糖尿病で中央病院に「教育入院」しました。そこで「教育」について考えてみることにしました。

 教育とは知識を教えることである→結果だけを早く教えろ。

 教育とはトムソーヤの冒険を書いたマーク・トゥエインが書いているように(彼は若いころミシシッピー川の水先案内(ナビゲーター)をしていました)、川のどこに浅瀬があるかを教えることではなく(浅瀬のできる場所は大水などで変化をする)、浅瀬ができる理屈を理解したり、考え方や考える力を養うことだ。

 教育とはその生徒さんの持っているものを引き出すことだ。

などなどいろいろあるようです。

 

エピソード:

 とある信号機でこちらは右折しようとしてウインカーを出して待っていました。やってきた直進車は直前でウインカーを出して左折。それならそうと早目にウインカー出していてくれれば こちらは十分右折できたのにと、この場合も相手のことを慮って損をしてしまいました。自己中的行動をとった方が正解という場面が最近多くなってきました。またある場面、道路左端に車が止まっていたので対向車が来るけど、その横を通り過ぎようとした時にその車が急発進。  なんだか自分とよく似た運転をする人が増えてきて困ったもんです。


 塾長の自由研究:

 あるメーリングリストで自分からは何も言い出さず世論が動き出してからその尻馬にのって声を大きくする人達の行動を指して「小作人根性」という言葉を吐いている人がいました。そこで気になったので小作人根性を調べてみました。

 長い物には巻かれよ

 左見て右見て目立たないように注意する

 隠れキリシタンのように隠れている

いずれにせよ否定的な意味で使われています。