できごと:

  9月30日のことA君から電話がかかってきました。明日10月1日は休むとのこと、そして軽い咳声。祭囃子が聞こえそうな夜でした。

 論評:

今回休筆します。

エピソード:

 いつも八尾まで農業しに行ってます。その道すがら道路わきで働くおじいさんおばあさんの様々な働く姿をよく見かけます。エンジン草刈機のおばあさん。あるいは朝行くとき手鎌で長い田んぼの土手の向こう端を刈っていた姿を見ていたのに昼帰るときまだ刈っていて今度はこっちの端を刈っている。すなわちあっちからぐるりとこっちまでずっと刈っていたということです。あるいは83歳が腰をくの字にして腰にずり落ちそうな田植え籠ぶら下げ3反田にぽつねんと押植え(田植え機で植え損なったところを手で植えること)している姿や他いろいろ感動的な姿をよく見かけます。八尾の人だからこんなに働くのか、昔の人だからこんなに働くのか。若いママさんにこの姿がまったく伝わっていないのは日本七不思議です。ちなみに83歳の娘はクーラーのかかった車に乗っているのは見かけても田んぼに入っている姿は見たことがありません。嫁に行って里帰りだから当然と言えば当然ですが。

 

塾長の自由研究:

 生徒さんと社会の問題やっていて面白いと思った問題がありました。

「年表中の下線部の出来事は条約改正が大きな目的だった。資料1に書かれている条約の内容について不平等な点を『日本に』という書き出しで簡単に説明しなさい」

1871年 岩倉使節団を欧米に派遣

資料1

第4条 日本に輸出入されるすべての品物は別冊の通り日本の役所に関税を収めること。 

[別冊] 日米が協定しないと関税は決められない 

塾長はこれを読んでどこが不平等かわからなかったのであります。「日米が協定」するんだから日本の意見も通るはずだからいいのじゃないかと思ってしまったのであります。日米が協定しないと関税は決められないとは日本の一存では決められない→米国の言うことを聞け

と読み解かなければならないわけです。

塾長は今、創元社「日米地位協定入門」という本を読んでいますが、日米安全保障条約第3条の別冊にあたる日米地位協定第2条には「いずれか一方の要請がある時には日本国内の米軍基地を日本国に返還すべきことまたは新たに施設を提供することを合意することができる」とありますがアメリカがウンと言わなければどうにもならないのは明治の不平等条約の構図と一緒です。われわれ法律の素人は「合意することができる」と書いてあるから良いのではないかと思ってしまうわけです。明治の人は不平等条約改正の努力をしましたが現代の政治家はアメリカに尻尾を振る人ばかりということらしいです。