ようやく涼しくなってきました。体調いかがでしょうか?

 夏休みも終わり子供達は学校へもどっていきました。夏休みいかがだったでしょうか。当塾は暑さを避けるかのように細々と夏休みやってまいりました。外で部活をやっている子は真っ黒に日焼けして靴を脱ぐと白い靴下を履いたようにそこだけ白いのにびっくり。子供達は元気です。

 話題も夏枯れしていましてつまらぬ動物の話を二話ほどさせていただきます。第一話、長らくやってきました新港の森での子供の遊び場やめることにしまして外に積んであったロープ類を梱包してあった包みを撤収する時のこと、昨年はここに青大将(へび)がいたなあ、まさかまだいるということはないだろうなと思いながら上から恐る恐るブロックをはがしていった時のこと、あろうことか一年前と同じ青大将がしっかりいたのです。こんな水場が近くに全くないところでどうやって梱包の中で一年も居れるのか全く動物というやつは不思議なやつです。第二話、耕作放棄地に新田を開発している所がありまして草をかきわけ行くとバタバタと突然の羽音。鷹が飛び立ちました。そしてトンビのように円を描きながら私の真上を高く高く上がって行くのです。そして円の中心をちょうど太陽の位置にもってきてまるで目くらましの術のようにまぶしくて姿を見えないようにするのです。当方もまけずしつこい人間なので「ようし最後どうするかまで見てやれ」と何分もがんばって見上げていますと、点のようになり太陽の中にはいった鷹がツーッと西の空へ飛んでいきました。変わったことをするやつです。私これまで生きてきて蝉の羽化は一度だけ目撃しました。こういう場面も二度と見ることはないと思います。

 最後は蝉の羽化のこじつけになりますが生徒の皆さんも苦しみながらこれまでの殻をぬいで進んでいってください。羽が強くなるのを待って、飛び立つのは明日 です。

                            泉田 ☆

 

 先日NHKのテレビ番組で、東北の震災における小中学生のその時にとった行動について伝えられていました。避難を喚起した放送があっても実に呑気な家族に対して、切実に避難を訴えて家族全員で避難して助かったもの、仲間と海で遊んでいた際に地震に遭い、その後潮が退いていくのを目撃して大津波を予測し、近くに高い建物があるにもかかわらずすれが信用できずにみんなで高台まで避難したもの、一人で留守番していたところで地震があり、家族を待つことなく自分で判断して避難したもの、逆に建物にとり残されてしまって、地上はまだ水位的に大したものでないのに流される危険を察知して屋上に上がって、大人の居ないなか兄弟だけでじっと救助を待ったもの、それぞれ自分たちの判断で最善を尽くしたものとして伝えられました。なぜ子供たちがその場でその場で適切な行動がとれたのかというと、学校で防災教育というのは行われていましたが、その際に自分の身の回りにどんなことが起きるのかをしっかり想定が行われていたことに他なりません。

 何か大きな事故があった場合、政府や企業関係者は「想定外でした」などという言葉を使いますが、この言葉は本当によくありません。言葉が何だか責任逃れのように感じられるからでしょうが、勿論ある程度予測できたのに、責任逃れをする為に言っているケースがないとは言えません。でも、例えもし本当に「想定外」なのだとすれば、それはそれで大変恥ずかしいことであることも、併せて認識しなくてはいけません。つまりそのような言葉がもし本気で出てくるのであれば、「自分には想像力が欠如しています」と言っているようなものです。

 ふと教育現場を省みると、試験では測ることのできない人間の能力が多くあります。そういう意味では試験の結果だけで人間の能力が決まるというのも何だか変な話ではあるのですが、学力と併せて想像力が必要な問題があるとは言え、想像力だけを問われる問題というのはまずありません。むしろ問題を正確に解くのだったら、想像力が却って邪魔になってしまう場合が多いくらいではないでしょうか。ですから変に想像しない訓練が知らず知らずのなかで行われているのだとしたら、それは大変恐ろしいことです。テストには出ない大切な能力としての想像力を、是非高めたいものです。

                      中川 ☆