暑いですね、いかがお過ごしでしょうか? 今や32℃などは低いほうになってしまいました。今昔の感を深めております。

 先日は三者懇談会おいでいただいた方ありがとうございました。漠然とうまくいっているのだろう思っている生徒さんの成績表を見せていただいて現実はなかなか厳しいものがあることを改めて認識させられやはり三者懇談会はやらねばならないと思った次第であります。できる生徒さんは基本的にできる。普通は学年が進むにしたがって成績が下がってくる。といったような基本的事実があります。それでは何のための塾かと言われそうです。一般的に進学校、進学塾というのは学校の勉強の内容を越えて受験に絞って難易度の高い問題を解く。そこに進学塾の意味があるのですが、「不揃いの林檎たち」と様々な人間から成り立っている世の中や塾ではそうはまいりません。興味をひくような面白い問題をそろえてやる気を引き出す。角度を変えて教えることにより興味を引く。ゆっくり言葉を話し、同じことを何度でもやる。画一授業で埋もれるその子の個人的特長をうまく利用する。一対一だから把握できるその子の弱点を突く。このような所に進学塾以外の塾の存在意義はあるのかなと思っています。

 車はガソリンがないと走れない。指導は教師と生徒の間に信頼関係あるいは指導を受け入れる気持ちがないと進みません。

 現代社会は第一次産業からかなり離れてしまっていて製造業、サービス業などがもっぱらですが、このような社会構造の中のどこか一角に自分の居場所を見つけるために多様な方面に可能性をさぐり、基礎的技術、心構えを身につけようと教育システムが補完されているのでしょう。

 先日半導体製造工場に勤務する卒業生と会食し、久々に現代社会のシステムに触れ自分がずいぶん現代社会の諸流儀とは別のところで暮らしているなあと改めて自覚させられこのような8月号の記述となりました。

                            泉田 ☆

 今年は4年に一度のオリンピックの年です。皆さんは夏休みの間、勉強や部活動の合間を縫って、見たりしていますでしょうか。部活動で取り組んでいるものや体育で習っているものなど、興味のある競技が1つや2つはあると思います。それぞれの種目をどのようにご覧になっているでしょうか。

 私の場合、一番熱心に見たのは高専の3年生の時、ロスアンジェルス大会でした。当時を思い起こすと、まず中学生の時の1980年モスクワ大会では、開催国のソヴィエト連邦がアフガニスタンの内戦に関与していたことから国際的に非難を浴びて、アメリカ等西側諸国がボイコットしたなかで行われた為、西側の一員である日本も不参加だったことで、国内で大きく取り上げられることもなく、私自身にとっても全く関心のないものでした。もしモスクワ五輪が正常に行われていたら、私のスポーツ感も違ったかも知れません。

そして1984年のロスアンジェルス大会、開催国アメリカには特に問題がなかったのですが、モスクワ五輪の報復とばかりに、今度はソヴィエトを始めとした東側諸国がボイコットしました。この時は東側に属しながらアメリカとは当時友好的だった中国がオリンピック初参加して、新たなスポーツ大国が誕生しました。因みにこの大会で、東側に属しながらソヴィエトに同調せず参加に踏み切ったユーゴスラヴィアに対して、一段と大きな拍手が集まったことは今でも忘れられません。

1988年のソウル大会でようやく世界全てが一同に集まり、東側(北側)だけで行われたモスクワ、西側(南側)だけで行われたロスアンジェルスを引き継いだ為に「南北対決の大会」とも言われましたが、終わってみれば東側の人も西側の人も相まみれてお互いの検討を讃えあった為に、閉会式では「南北対話の大会」だと言われるようになりました。この頃はまだ東西の冷戦が続いていましたが、市民の間では確実に冷戦終結の機運が高まっていることを世に示すこととなりました。事実次に行われたバルセロナの大会までにベルリンの壁の崩壊が起こっています。後から振り返るとソウル大会は東ドイツ、西ドイツに分かれて出場した最後の大会でもありました。競技をしている選手も、見ている聴衆もそのようなことを考えもしなかったことと思います。

 以後も参加する国々の名前や国旗は少しずつ変わり、上記だけでも今はない名前の国があると思いますが、それは世界の歴史とともにオリンピックが歩んでいることを物語っています。日本人の活躍ばかり目に留まるかも知れませんが、他国にも印象に残る選手は何人も居ると思います。そうした選手の国を覚え、その選手の顔とともに国旗と国歌を心に焼き付けておくこと。このことは世界の歴史だけではなく、自分自身の歴史として振り返るものとしても貴重な一コマとして、一生の宝となることと思います。

                      中川 ☆