涼しくなってきました如何がお過ごしでしょうか? 体が知らない内に季節の変化に備えようとして食欲が進みませんか。ある野菜ソムリエさんは秋が旬の野菜・果物としてサトイモ、サツマイモ、山芋、レンコン、ゴボウ、梨、栗、いちじくを挙げていました。

 さて塾の小学生さんはここのところ順調に理解をふやしております。しかし今までの経験でほめるとろくな事がないのでご用心。高校生は今月から一人増え三人になりました。ちょっと基礎がしっかりしていないことが気がかりです。さて中学生ですが一年生はやることはやっていますが、インセンティブ(勉強の動機をはっきり持っていること)・目標ができて、自分のための勉強として取り組んでいるようには見受けられません。能ある鷹は爪を隠していると思いたいところです。中学二年生は今いる生徒さんはしっかり者で叱咤しなくても進んでいきます。が、放って置くとやり方が自己流になってやっぱり水先案内(ナビ)のようなことは必要だと思われます。中学三年生はマイペース派でしょうか。少なくともガツガツしたものは感じられません。時代自体が昔のようにガツガツしていないのでしょうか?言われて、覚えて、忘れてという感じでしょうか。当方としては大きく言えば日本人の学力の底上げのようなことを狙っていてトップ校を目指さない人の教養・素養をなんとかしたいなあという感じですが大げさ過ぎますかね?

 紙面が残ってしまいました。今月の話題ですが、最近の若い女性はヨガとかピラティスとかいうエクササイズとか昔人間には変に見えるものをみんなやっているのでしょうか? 最近(最近といってもここ二、三年ですが)会う機会のあった女性はなぜかそういったものに凝っています。単なる仕事だけでは面白くないのでしょうか。まだスペースがうまりません。話題Ⅱですが最近、車中ラジオもあまり聞く気がしなくなっています。口の悪い人は老化だろうと言いますが、当方としては番組が身近に感じられないと申しましょうか、少し白々しいと申しましょうか自分(私)の直面している状況の切実感が番組には感じられないのです。五木の子守唄の「あん人達ちゃ良か衆」ということでしょうか。この格差困ったもんです。

                            泉田 ☆

 

 皆さんは普段、どのように遊んでいますでしょうか。我々が子供の時はまだ外で遊ぶ環境がありました。今の季節でしたら学校から帰ると稲刈りの終わった田んぼに集まり、そこで藁でベースを作って野球をよくしましたし、雨の日には当時まだコンピュータというのが普及していなかったですから、ボードゲームやカードゲームもしましたが、それよりも私がよくしたものは、中学生までは将棋、高校へ進んでからは囲碁でした。囲碁や将棋は他のボードゲームとは違ってサイコロを使わない実力本位で勝敗が決するのですが、それだからと言って必勝法がある訳ではなく、場面ばめんでいろいろな自分好みの作戦を立てることができます。

 特に囲碁の場合、ここに打たなければ絶対に駄目という場面が多くなく、多岐に渡る選択肢のなかからどれを選ぶかということにおいて、自由度がかなり高いので、そこに勝敗に拘らない楽しさが生じます。そこに好みや性格が現れるからです。プロにもなれば極微細な優劣を判断して、少しでも勝ちにつながる打ち方を探求するでしょうが、それでも棋士固有の棋風と美学をもって、対局しています。実はこの勝負の世界のなかにありながら、「実は勝敗に拘っていない」と言う棋士もなかには居ます。その人は、石の形、つまり石そのものの形ではなく、黒石と白石の並んだ際に、自分の打った方の石の形が美しい方が勝つ、という哲学でその棋士は第1線で活躍しています。囲碁は陣地の大小で勝負をつけますので、自分の陣地をできるだけ広げ、相手の陣地を狭めていくことが基本戦略になりますので、ある局面ごとに陣地に関して損得が発生し、その積み重ねで勝敗が分かれることになるのですが、その棋士はそうした損得に拘らないのだそうです。自分が美しい手を打っていたならば、例え損をしても必ず別のところで得をすることになっているだとか。逆に相手が悪い手を打っていないのに自分が思いも寄らぬ得をした場合、それは何か悪いことをしているのであって、必ず後から自分に悪いことが起きることになっている。更にはそのことに関して人生も同じとも言っておられます。

 よくよく考えてみると、自分が正しい行動をしているのに損をした場合、結局そういうのは後から返ってくるものです。逆に自分がしたこと以上に得をするということは、それは何か悪いことをしていて後から思わぬしっぺ返しがくるものです。そうした人生の構図を、囲碁というゲームは上手く捉えている気がいたします。

 囲碁において大儲けしなくていい。美しい手を積み重ねれば最後は勝つようになっている。人生も必要以上にお金しなくていい。美しく生きればいい人生を歩める。そのよなことから、囲碁というゲームを人生に例えて楽しめたらと思います。

                              中川 ☆            

親御さんの声

 先生、大変お世話になっています。

 先日、「英語がわかるようになってきた」と話してくれました。

少しずつ成績につながってきて自信がついてきたのだと思います。

 どうか、「行きたい学校」に入れるよう、あと少しの間ご指導

 下さいませよろしくお願い致します。

 中学校の時はほんとうに怒りっぽかったのですが、今はまったく怒らない。

本人に「何かあったの?」と理由を聞くと「大人になったのでしょう」と

いうことでした。

 勘というか、察しのいいところがあって一緒に問題を解いている時にそれを

感じます。ここでも中学時代に見ていなかった一面に出会った気持ちです。

 当方も「行きたい学校」に入れるよう全力で応援する気持ちです。