夏休みも終わり新学期です。十分遊んで次の活力養えたでしょうか?本当に外の環境が都市化し昔の日本の少年の夢やど根性を養った自然環境が貧弱になり外で遊んでいる子を見かけなくなり昔人間としましては寂しい限りです。現代の子どもは電子音や鮮やかな映像の中で夢や活力を養っているのでしょうか?

 さて新学期ですが疲労がたまっているせいか「がんばらない」という言葉に惹かれる昨今で困ったものです。話題といたしましては最近少しだけ面白い発見がありました。落選した相本さんの奥さんが塾に来られた時、並んでいる高校の数学の参考書を見て「このあたりから数学についていけなくなった」というようなことを仰ったのですが、具体的な計算はこなせるのに「文字式」になってaとかxとか抽象的になってくるとさっぱりという生徒さんが散見されます。また高校によっては具体的なつまらない計算ばかりを練習させる所があり生徒さんもこの方を好むのです。しかし私の二十歳で工場労働者として働いていて26歳で大学に進学したという経験からでは都市の有能な進学校では問題文にaやらxやら文字式だらけのちんぷんかんぷんの抽象的な問題で脳の訓練をしてきているようなのです。ここに明らかな「差」があるなと強く感じている今日この頃です。この壁をなんとか若者なんだから登れるのではないかと日々尻をたたいています。 泉田 ☆

P.S 同僚の中川先生の企画の9月23日、富山市民プラザでの「日本の歌」コンサート、貴重な物なので是非無料券申し込んでください(中川先生のサービスです)。

 先日、富山にフランス人ピアニストのエリック・ハイドシェックが滞在しました。9月11日から20日にかけて4公演を行うために来日したのですが、その公演前の時差ぼけ解消のために、10日間ほど富山の一般の家庭で過ごしたわけです。彼はホテルや旅館のようなサーヴィスの行き届いたところは好まず、気楽に家族同様に接してもらえるところの方が心が休まるみたいで、そのような環境で1日数時間、黙々とピアノを毎日弾き込んでいました。

 お疲れの時に、実際にマッサージをしたりもしたのですが、その際指に触れてみると、本当に太くごつごつとしていて、ピアノの鍵盤を叩きつけるような力強い響きの源が、普段の努力によって培われることを思い知りました。指だけではありません。体全体の筋肉のつき方がいかにもピアニストで、それは本当に恐ろしいものでした。

 でもそうした努力は、決して舞台では現れません。いとも簡単に楽しく難しい曲が奏でられます。それだからこそ聴衆も楽しめる訳なのです。彼が語った味わい深い一言、最後にご紹介しておきます。

 「舞台では苦労を決して見せてはいけません。それを見せないために、普段の練習がとても大切なのです。」                   中川 ☆

親御さんの声

いつもお世話になってます。

今まで何一つ続ける事が出来なかった子ですが

塾だけは続けて通う事が出来うれしく思っています。

この調子で頑張ってやりとげて欲しいと思います。

 普段の努力は後になって必ず表れます。そのがんばりは本人の努力によるものであって、我々はその手助けをしているのに過ぎません。時に激しく叱咤したりいたしますが、それにもめげずにがんばってくれていることに、大変感心しております。

生徒さんの声

前までは、勉強が何一つできなかったのにできる

ようになったのでうれしいです。

次のテストでは、がんばりたいです。

 どんなに難しいことでも、コツコツと積み上げればやがてできるようになります。今度のテスト、自分でどこまでできるか楽しみですね。例え結果として点数に表れなくても、少しでもこれまでできなかったことができるようになれば、それでまたひとつのステップとして、確実に踏んで頂ければと思います。