日が長くなっています。一年ももう半ばまで来たのかと呆れています。中高生は中間試験も終わり一息入れたらすぐ期末です。

先日ラジオを聞いていましたら「がんばらないこと」の鎌田實医師が「へこたれないこと」というのをやっていました。当方など経済状況が悪いとどうにも力が入りません。個人の努力不足なのか、場の状況なのか、じたばたあがくべきなのか、じっとやり過ごした方がいいのかわかりません。

先日新聞を見ていましたら、これからの教育の課題=格差社会への対応

というのがありました。社会は格差社会の方へ向かっているようです。そこで考えるのですが、現行教育も受験というシステムによって格差を強化しているだけのような気がすることがあります。つまり勉強は誰に対しても平等ではない。親が裕福か高学歴の子弟は教育システムに乗って恩恵を受けようとしますが、勉強が好きではない半ば以上の人にとってはこの教育システムから受けるものはそんなに多くはない。この流れがスポーツや芸能へ向かうエネルギーの大きさに比べ、一握りの人を除いてかってほど勉強へ向かうエネルギーが大きくない理由でしょうか?私自身の経験から言えば二十歳の頃工場労働者としての経験とその後大学で学んだ経験で日本社会ははっきり二重構造だなと感じました。レールがあるんですね。かといって勉強して一つ上の?レールを走れ!という叱咤が全員にあてはまるわけでもないですし。勉強することがその人を肥やし、社会もまたその発展途上の人を受け入れ、ますます肥やすそのようなシステムや仕事になっていればいいのですが…

泉田

私は昼間、管工事で働いています。先日富山大学の近くの現場で下水道工事をしていた時の話ですが、富山大学の近くに付属小学校があります。その児童が下校していた際に、工事現場で何をやっているのか興味をもって、しばらく見ていた男の子がいました。落ちて怪我されても困るのですが、賢そうに眺めているのをみていると、こちらもつい微笑ましくなってきます。その後もいろいろな児童が集団下校しながら通って行ったのですが、人それぞれだな、と思いました。

私たちが小中学生のとき、ずいぶんとゆっくり時間を掛けて帰ったものです。先生には「道草をしてはいけません」と言われていながら、寄り道したり田んぼの畦を通って近道をしたり、時には田んぼの水を抜いたりして悪戯をしたこともあります。そうして大人の目を盗んでは子供の領分を楽しんだものです。

でも今の時代、治安の悪化からか小学生たちは大人の監視のもと、まっすぐ家に帰らなくてはいけなくなりました。ふと子供の立場で考えると、随分と窮屈な世の中になったものだな、と思ってしまうのです。

学校や家庭では学べないことで、社会を肌で感じる登下校が、まるで社会から隔離されてしまったなかで行われていることが、本当に良いことなのかどうなのかを、ふと思った次第です。

中川 ☆