暑いせいか、ぼーっとした行動が多くなって困っています。財布を二度も落としたりして参りました。

 最近の変化が読めないでいます。夏期講習だというのに申し込みも少なく異変を感じています。高校でもずいぶん長く夏休み補習が組まれているようです。確かに勉強は上位層には進学のメリットなどがあり頑張れば報われる構図になっていますが、中・下位層は進学競争につき合わされているだけ、引立て役構図となり、こういったこともスポーツや芸能を目指す若者が多い理由でしょうか。がんばれば正社員待遇が約束されておりワンパターンでなくてやりがいがある仕事が待っているという環境にならないかぎり秋葉原の乱のような非正職員の若者の反乱は続くような気がいたします。僕は「樽職人」や井波彫刻や他人が目指さないスキマのようなところにやりがいのある仕事は隠れてあるのでないかと夢想しますが、それも現実的に考えると収入につながらなかったり、尋常でない我慢強さが要求されたりで誰にでもできるものではありません。

 では進学競争の引立て役に終わらないためには勉強の意味はどこにあるのか、今朝(8月1日)の北陸中日の夜回り先生、水谷修先生のコラムによると「なぜ学校に行かなければならないのでしょうか?」の問に対して「学校に行き、多くのことを学ぶことが、君たちの人生どころか、ほかの人の人生まで幸せにするだろう、いろいろな知識や力を君たちに学ばせてくれるからなのではないですか。」と答えています。本当に学び舎は「力」を与えてやれないといかんのですね。

 

泉田 ☆

 先月の終わり(7月31日)、たまたまガソリンが切れてスタンドへ行くと、余りにものの長蛇の列で大変驚きました。ひょっとしてと思ってスタンドの係員に「明日からガソリンが高くなるのか」と聞いてみると、「そうだ」という答えが返ってきました。8月3日には、エスカレータが逆走する事故が起きました。この2つの出来事、何だか共通しているような気がするのですが。

 もうひとつこのような例もあります。私の母は毎週合唱を習いに行っています。そしたら必ず帰りに仲間から食事に誘われます。母は、練習が目的ではなく練習後の食事をするために、みんなが来ているみたいであり、それが嫌で一人さっさと帰って来るのだそうです。

 人間はどうも人の集まるところに行きたがる習性があるのだろうか。もしこれが何かのために協力し合うといった目的のあるものであれば良いのだか、無意味な集まりというのが余りにも多いと思うのです。そういうのに巻き込まれない為に、自分の個性を発揮できるように磨き上げていきたいものです。

                                 中川 ☆

親御さんの声欄

 最近世間を騒がす事件は、見るにも聞くにも耐えられないことばかりです。

 価値観の多様化が進み、社会がどんどん私達の理解できない方向に変化して

いるようで、幼少から人の親となった今日まで培ってきた価値観で子どもたちに、ものの道理を説いていくことがとても難しいことになってきました。

 私どもには三人の子どもが居りますが、子どもを取り巻く環境は、第一子と第三子ではまったく違うわけで、上の二人には普通に言って聞かせればわかることが、末の子には「そうは問屋が卸さない」といった手ごわさを感じてきました。先が見えない現代社会の中で、「強く正しく生き抜く知恵を授けるのが親の役目」と意気込んでみても、不安でたまらないのが実際のところです。

 塾では試験に勝つための勉強をするところと、十分理解のうえで子どもを通わせていますが、先生方の体験から生まれた教訓、社会の仕組みや現実の厳しさ、協調性を大切にし、人とうまく合わせることなど、勉強の合間に一言二言聞かせてやってくださったらありがたいと思います。

 今後ともよろしくお願いします。

 本来このようなことは、学校で教えるべきことである筈なのに、しっかり教えていないのでは、と思うことが非常に多いです。それは学校が試験に勝つことを第一にしている、とまで言えないまでも、そうした傾向にあるのかな、と思うところがあるからです。

 当塾では受験対策は勿論行っていますが、実際には知識より知恵を重視したいところがありますので、そのあたりから受験よりももっと先を見越した教育ができるよう、精進していきたいと思います。