5月です。新学期にそろそろ慣れてきた頃でしょうか。そろそろペースをスタートさせる時期ですね。

 むか~し「新湊中央ロータリークラブ」というところに入っていまして、そこの事務の女性からここのところ古くなったものなどの差し入れがあります。そして茶飲み話をするのですが、50代のこの女性いわく「学生の頃はふるわなかったけど、最近学ぶ喜びをおぼえるようになってきた」。そして「学ぶ喜びって難しいわね」って。

 しかし、よ~く考えてみると教育の原点ってそこにあるのかもしれませんね。自分が豊かになっていくのが実感できるとか、物の見方が広がったとか。そしてその女性、社会に貧しい若者が増えてきているのを心配していました。いろいろ学んでいないから、自分を豊かにしていないから、ちょっとした安い刺激の方に行ってしまう。自分で自分を豊かにしていくには最低限の学力はつけてやらねばならないというようなことを話していきました。確かに言われてみれば受験の方に、競争の方にばかり視点がいっていたような気もしてきました。基本ってやっぱり大事ですね。

 ところで、6月に入ると当方田植えをしますが、どなたか生徒さんで経験しておきたい人はいらっしゃいませんか?一緒にやりませんか?

泉田 ☆

 昨年女声三重唱のコンサートを主催いたしましたが、今年は女声合唱を企画いたしました。私は昔から歌われてきた日本の歌が大好きなのですが、特に昭和初期までの作品は、現代のような感情剥き出しの歌詞とは違って、一歩引いたところから客観的に眺め、実に表現が細やかに書かれているのが特徴です。

 人間が成長する過程においては、テレビを見るより読書が良いことは言うまでもありません。テレビは情報を与えられる一方で、どうしても受け身になってしまいます。ところが本は、情報としては最低限のことしかなく、あくまで自分が主体で頭の中に本の世界を創造することができる訳です。こうした創造性が人間にとって大切な能力になる訳です。

 これは歌についても同じで、現代の歌の露骨な表現は、ともすれば作者の意図が押し付けられることにもなります。ここに並べられた昔から歌われた歌は、かなり情緒的に歌詞が書かれているのですが、この一歩下がった視点が聴き手の心を優しくくすぐり、自分の世界を創造する余地を与えます。歌によっては実に謎めいたものもありますが、心に小さな謎を常に持つことは、人間を大きく育てるものです。常に頭が働くことで能力全開することにつながる訳です。

 もうひとつこのコンサートを企画した主旨は、本当に美しいものに触れて欲しい、ということです。宇野功芳氏の合唱は技巧的なものを聴かせる訳でなく、どこまでも清らかで祈りに満ちた表現になっています。このような美しさに触れる機会が、現代ではなくなってきているのではないでしょうか。だから悲惨な犯罪が各地で起きているような気がするのです。是非この機会に心のビタミンとして、清らかな女声合唱に触れて頂ければと思います。

 これらの歌は、きっとおじいさん、おばあさんたちにはきっと懐かしいものであることと思います。ですから皆さんのおじいさん、おばあさんと一緒に来て頂ければ幸いです。塾生のみなさんとご家族の方たちには、チケットを無料でお配りいたしますので、欲しい方は申し出て下さい。

                                 中川 ☆

 

親御さんの声欄

いつもお世話になっております。今年もひき続きよろしくお願いします。姉のほうは中学生になりましたが授業料は今まで通りで良いのでしょうか?弟がなかなか行けていないようなので、また声をかけてやって下さい。月曜と木曜は家の方で声をかけてやってはいるのですが仕事から帰ると行ってない事があり、心配しています。あまりひどいようでしたら一言いってください。

塾はあくまで学校での勉強に対する補助的な位置づけにあります。ですから意欲のないことを無理強いしてもうまくいきません。当塾の技量不足がいちばんの原因かと思い、深く恥じ入っているところです。当塾での態度としては随分と改善されていて、本当によく勉強するようになったと思っております。速読のシステムも導入して、教育の幅も広がりましたので、今しばらく様子をみたいと思います。授業料につきましては、計算して封筒に書いてありますので、疑問点などございましたらお気軽にご指摘下さいませ。

始めたばかりでなんとも言えませんが成果が出るようにがんばってもらいたいです。

 生徒さんにがんばってもらえるよう、当塾としても努力いたしたいと思います。ただ、成果は全てが即刻現れるとは言えませんので、少し長い目で見て頂ければと思います。突然現れる効果は概して、その時の努力だけでなく過去からコツコツ積み重ねたものが、その時の急成長につながったものであるケースが多々あるものですから。