「埋める・建てる」とは、巨大で金のかかる人工物は無条件に素晴らしいという考え方だ。自然のままの地表を鳴らし、コンクリートで覆うのは「豊かさ」の表れであり、「進歩的」で「近代的」な行為だと思われている。
(中略)
 第二次世界大戦以前の日本はまだ貧しく、工業化が進んでいたのは都市部だけだった。ところが戦争で都市が壊滅し、40年代後半、日本はがむしゃらに発展をめざした。「埋める・建てる」的精神が根をおろしたのはこの時だが、今となればどんな小さな村にも開発が行き渡り、進歩とは新しいピカピカしたものを建てるという考え方が文化の主流になってしまった。
 振り返ってみると、日本の「進歩」や「豊かさ」に対するスタンスは、だいたい1945年から1965年までの間に確立したものばかりだ。経済が空前の成長率を示し、今ある産業や銀行、官僚機構の原型が生まれてきた時期である。60年代に定まった思考回路と21世紀の現実とのミスマッチーーそれが、現在の「文化病」の基調になっている。(「犬と鬼」p37)
(中略)
 だが今日の日本で目にするのは、かなり違った現象だ。名古屋大学大学院国際開発研究科の重松伸司教授がこれに気づいて驚いたのは、神社の森の調査をしていた時だった。大都市の真ん中に残るこれらの森は、神道では日本の心の真髄とされている。だが、周辺の住民は重松教授らに「この森には迷惑している。日をさえぎるし、伸びた枝から葉が落ちて道路や家の前に積もる」と不平を訴えた。落ち葉は「迷惑」だ。
 こんな話を聞くと、東アジアの発展途上国の未来について考え込まざるを得ない。現代文化史を大きく三段階に分けるとすれば、前工業化時代、工業化時代、そして脱工業化時代だろう。第一段階は、人々は自然と一体になって生きている。この時代の典型像は、水田に囲まれた木造の高床式住居に住む小農一家だ。
 第二の「工業化」段階で、人はいきなりたたき起こされる。冷暖房のない汚くて暗い古い民家と、光り輝く新しい都会との落差はあまりに大きい。その結果、急激な近代化の波が起きる。古いもの、自然なものはすべて汚く遅れていると否定され、ピカピカの加工品が豪華であか抜けているともてはやされる。典型像は、きちんと背広を着たサラリーマンが団地から出勤していく姿だ。
 第三の「脱工業化」段階では、人々は一定水準の快適さを獲得し、だれもがトースターや車、「冷蔵庫、エアコンをもつようになる。そしてこの段階で、社会は新しい「近代」像への移行を果たし、テクノロジーは自然や伝統文化と結びつくようになる。イメージとしては、ワシントン州の山中でソーラシステムつきの家に住むマイクロソフトのコンピューターおたくといったところ。第一段階では、人類と自然は家族として調和し、第二段階では離婚し、第三段階では家族が集合再会する。
 残念ながら日本の場合、「脱工業化」への準備はすべて整えてあるのに、どうもその移行が阻止されているようだ。人間と自然の離婚は決定的に承認され再会はなく、古くて自然のものは「汚い」「迷惑」、それどころか危険だと考える方へどんどん突っ走っている。
(中略)
   日本人はよく「きれい」という言葉を使うが、それは「美しい」と同時に「きちんとして清潔」という意味でもあり、ブルドーザーでならしたばかりの山腹や、コンクリートで改修したばかりの川岸についてもいう。すらっとした人工のものが「きれい」だというのは、1950年代から60年代の「発展途上国」時代の後遺症である。当時、田舎の道はまだほとんど舗装されていなかった。でこぼこの泥道になめらかなアスファルトが敷かれ、朽ちかけた木の手すりが輝くスチールに代わったのを見た時、人々がどんなに喜んだか想像できる。その喜びの感覚は消えなかった。結局日本は、工業化の第二段階の目標をもったまま第三段階を迎えた国家なのだ。
 第二段階目標と第三段階の技術というコンビネーションは大変危険で、その結果は大自然の精気をなくすことになる。今、田舎を走れば、その「精気を殺す」プロセスはどこででも見られる。ダメージは海岸や岬の岩の突起を削ってなめらかなコンクリートの曲線に変えるような大工事だけでなく、小さい部分にも見られる。たとえば公園の小路でさえ舗装したり、金属のプレートを付けたりする。また、少しの段差にもピカピカしたクロームの手すりを付けなければならない。(「犬と鬼」p41)
(中略)
 日本の学校は、ダムはすべて輝かしく、道路はすべて幸福な未来への飛躍であるという考え方を教え込んでいる。
(中略)
 もちろん日本には、新しいダムやテトラポットを見てはしゃぐ人しかいないわけではない。何百万という人が、周囲から美しいものがどんどん消えていくのを悲しんでいる。10年前に日本について書き始めた時から、我が家の郵便受けには手紙が次々に舞い込むようになった。自分の故郷の町が醜く変貌したとか、帰郷してみたら大好きだった滝がコンクリート詰めにされていた、などと嘆く手紙だ。そんな手紙にはしばしばこう書かれているーー「私も同じように感じているのですが、これまではそれを声に出して言う勇気がありませんでした」。人はまわりにある美しいものは、いずれなくなるという不安を抱いている。日本各地の風景や庶民の素朴な生活を描き続ける、画家の原田泰冶は「逃げる風景じゃないんだけど、何か早く撮らないと消えちゃうというか、自分が見つけたすごいところをだれかに持っていかれちゃうんじゃないかってね」と日本経済新聞夕刊で語っている。(犬と鬼p73)
 
(中略)

 日本が抱える問題の発端は、開国した直後の1860年代にさかのぼる。当時、日本は植民地となることに抵抗し、その後西洋列国より強くなろうと張り合う。事実、日本は世界の中でも最も強力な国の一つにまでなったが、産業社会の発展成長のためには、何でも犠牲にするという政策は150年の後々まで変わることはなかった。時が流れるにつれ、一世紀半も前の政策と、現代日本の社会がほんとうに必要としているものの間に、大きな溝が開いてしまった。(犬と鬼p7)
 (中略)
 無敵の官僚制度は日本の最大の問題である。(犬と鬼p28)
 (中略)
 省と省との微妙なバランスを保つために、予算は使わねばならず、計画は拡大しなければならない。こういう背景があるから、国土を際限なくコンクリートで塗りつぶすという奇怪な状況が生じ、他の国ではとうてい見られない極端な状況、しいて言えば恐ろしいマンガの世界へ入り込んでしまう。(犬と鬼p28)
 (中略)
 数百年の鎖国から目覚めた時、国力は貧弱で弱く、アジア諸国も次々西洋の植民地にのまれていった。自国のあまりにも危険な状態にショックを受けた明治新政府は、まず総力をあげて経済の地盤固めにとりかかる。そして次には軍事力増強に力を注ぐ。これはまず、西洋諸国に抵抗するためであったが、後には他国と競うようになってくる。当初からこの政策は産業最優先で、そのため他のことはすべて犠牲にせねばならなかった。これはいわゆる「強国・貧民」の政策の始まりだった。
 第二次世界大戦の敗北は、ひとつの大きな逆行だったが、これによって産業の重要性は、いっそう国民の意識に焼きつけられたーー経済力をじゅうぶんに強化すれば、二度と負けることはないだろう。だが、産業だけに力を入れてきたこのプロセスの中で、自然環境、生活の質、法律、金融伝統文化、何もかもがねじれてしまった。「強国・貧民」政策のおかげで、日本経済は世界に対して大きな競争力をつけてきたけれども、それとは裏腹にGDPのためなら何でも犠牲にする思想から生まれた政策が、あの手この手で山や川を傷つけている。(犬と鬼p57)
 (中略)
 日本の金融システムは、安価な資本を提供して製造業を強化することを目的にしており、戦後数十年にわたってその目的を立派に果たしてきた。(犬と鬼p83)
 (中略)
 官僚制は最近盛んにメディアに取り上げられ、読者の皆さんも知り尽くしているだろう。しかし、この機会に外国人になったつもりで、日本の状況を今一度見つめ直していただければと思う。まず日本の官僚制と他の先進国との一番の違いは、自分の管轄下の事業から官僚自身が利益を得られる構造になっていることだ。たとえば、天下りや、各省庁の組合が下請け企業の株を持ったりすることだ。(犬と鬼p131)
 特殊法人
 官僚の権力の道具は多種多様だが、「天下り」ほど強力なものはない。退職後、官僚はその省庁がコントロールしているしていた業界と外郭団体に職を得る。財務官僚は銀行の役員に、国土交通官僚は建設会社の重役席へ、元警察官はパチンコ業界の役員、といった具合である。その役得は大きく、退職した天下り官僚は2000万円もの正規の年収を得るほか、非公式に3000万円、6年後には2000万円の退職金を受け取る。合計すると6年で3億2000万円になる。
 各省庁は、天下りを規制しようとする試みに抵抗してきた。「再就職が保証されているから民間より安い給料で長年働ける」と農水官僚は言う。その結果、企業が元官僚を雇用し、見返りに官僚の愛顧を得るというシステムが生まれた。
 民間へ天下ったことがよく報じられるが、最も幸運な官僚は、補助金が下りていく半官半民組織の網の目のどこかに職を得て、利益を手におさめる。そのような組織のうち大きな力があるのが特殊法人(その理事の44パーセントは天下り)で、またそこを退職した後は第二群の公益法人の役員になる。これらの組織には、公的な調査がほとんど入ることがなく、監督官庁に保護されている。彼らは、自分の番が来たときの天下りの役得を楽しみにしている。
 (中略)
 特殊法人は官僚国家の要であり、これまた土建業とほとんど同規模の中毒症状あらわれで、多くは時代遅れで削減又は廃止するという掛け声だけは盛んだが、特殊法人とその子会社は58万の労働者を雇用しており扶養家族を加えれば200万を超す人々を養っている。これほど大勢の労働力がこれらの法人を通じて政府の施しに依存しているから、政府が建設予算を削減できないのと同じく、特殊法人を急激に縮小することはできない。特殊法人はどう論じられようとも政府の金を各方面に配る蛇口のようなもので、大きな利権が生まれるのでやすやすとは廃止しない。
(中略)
 財投の行方を知るには、沼地に足を踏み入れなくてはわからない。ここでは「特殊法人」という恐竜と出会う。特殊法人には面白い生態が見られる。まず、彼らはきわめて多産で、何万もの子や孫を生み出している。省ごとに分かれ、2001年現在、全部で77の特殊法人があり、それぞれ公益法人という子供を産む。公益法人のうち、8879が中央省庁の、1万9570が地方自治体の管轄下にある。そのほとんどが天下りによって経営されており、また各省庁のOBおよび職員の厚生基金がその株式の大半を所有している。さらに公益法人も子供を産む(所有者は同じである)が、これは立派な民間の営利企業である。これらの企業は、公開の入札に参加しなくても公共事業のかなりの部分を受注している。
 さまざまな機関は、各省庁が 牛から乳を搾るように特殊法人から利益を絞り出している。
 えさは財投の資金で、繁殖地はそれらを監督する省庁だ。天敵はいない。排泄物はモニュメントと呼ばれる巨大なフンだ。猪瀬直樹の調査に基づいて、ここで特殊法人の実例を見てみよう。
 リストのトップを飾るのは道路公団で、沼地の生物のなかで最も大きく、ジャングルの主だ。その仕事は高速道路の建設と管理で、道路公団の事業資金4兆5000億円のうち、半分は高速道路料金その他の業務収入で、残りは財投から供給されている。道路公団は事実上、財投の最大の借り手であり、年額で財投の4パーセントを借りている。
 年ごとに道路公団は返済不能の底なし沼にはまり込み、その累積赤字は今では27兆円に達している。悪名高い日本国有鉄道の負債(28兆円)に迫る勢いであり、近くそれを超える。道路公団の絶望的な財務状態は、関空へ渡る橋の往復通行料(たった6分間)が、当初は1700円以上という法外な料金にも窺える。
 しかし、高速道路の管理には利益のあがる側面もある。すなわち高速道路沿いのサービスエリアやパーキングエリアの事業である。これに付随して飲食店の売店があり、電話やカーラジオの独占もあり、これらは官僚が自分のために金を稼ぐ手段となっている。そのからくりを説明しよう。
 道路公団は、道路施設協会(ここからHP筆者泉田注釈:財団法人道路施設協会(1965)→財団法人道路サービス機構&ハイウェイ交流センター(1998)→現在(2019):ネクセリア東日本(東日本高速道路のSA・PA運営子会社)、中日本エクシス(中日本高速道路のSA・PA運営子会社)、西日本高速道路サービス・ホールディングス(西日本高速道路のSA・PA運営子会社) )という特殊法人を作っている。この協会は無数のサービスエリアやパーキングエリアを所有・管理しており、年間売り上げは730億円で、不動産賃貸部門としては日本で第7位の規模である。これに対して、同協会は道路公団にたった70億円の料金しか払っていない(収入の10パーセント未満)、残りは協会を運営する天下りの懐に入るのである。
 道路施設協会はさらに、103の会社に請け負わせている。請負資格は、道路公団のOBや建設省職員の厚生基金がその株式の大半を所有していることである。これらの会社は合わせて5450億円の売り上げを計上し、2万6000人の社員を雇用する。この社員数はその祖父にあたる道路公団のほぼ三倍にのぼり、道路施設協会が稼ぎ出す売り上げと、これらの子会社の売り上げとを算入すると、年間6000億円を超える。
 この数字からわかるのは、道路公団の予算のうち道路管理の儲かる部分だけをきれいに取りのけて、その利益を官僚のポケットに入れているということだ。その結果、新しい高速道路が建設されるたびに同じことがくりかえされる。つまり、国民は高い料金を払わされ、財投の負債という重荷を背負わされる。その一方で、官僚は新しいサービスエリアやパーキングエリアから儲けを吸い取っているのだ。
 こういうわけだから、高速道路は是が非でも建設し続けなければならない。道路公団は、すでに存在する6000キロの高速道路に加えて、さらに9200キロを建設する計画を立てている。必要かどうかは問題ではない。(犬と鬼p156)
 (唐突に)
 まず、厚生省は「財団法人健康・体力づくり事業団」を作る。この財団は二つの職種に資格を与える。「健康運動指導士」と「健康運動実践指導者」である。厚生省と文部省は次に、「財団法人日本健康スポーツ連盟」に合同で出資し、この連盟が第一の職種の認定を行い、いっぽうで厚生省は独自に「公益社団法人日本フィットネス協会」を設立し、後者に認定証を出す。負けじと文部省は「公益財団法人日本体育協会」を設立し、こちらはスポーツプログラマー1種、2種という二種類の資格を創り出した。エアロビクスのインストラクターが第一種の資格をとろうとすれば9万円、第二種なら50万円を払わなくてはならない。さらに、「認可法人改め特別民間法人中央労働災害防止協会」は、「ヘルスケアトエーナー」および「ヘルスケアリーダー」という二種類の資格をとるために二十日間の研修ーー17万円かかるーーを義務づけている。
 要するに、エアロビクスクラブのインストラクターになろうと思えば、五つの団体の、六種類の認定を受けるためにお金を払わなくてはならない。それら明示的に定めた法律はないが、少なくともいくつかの資格を持たずに仕事をしようという者はいない。これらの資格認定の料金は国庫に入ることはなく、まっすぐ許認可団体のポケットに収まるのである。(犬と鬼p135)