川倉君からこんな便りが届いた
○ 塾便りについて

 数か月間、書かれてたことの中で、ピックアップ。
 泉田さんは東京の大学を出られました。泉田さんの世代は「大学を卒業して、優良企業に就職」というのが、幸せのチケット、あるいは人生を送るうえで、有効な戦略だったのだと思います。その世代の方でそういうチケットを入手できなかった人は自分達の子供にはそういうチケットを入手して欲しいので、ランクのいい大学に入学させて、いい企業に就職をさせようとしたように見受けられます。ところが、その「いい大学、いい企業」という戦略は、子供世代では効果が低くなってしまったように思われます、もはや有効な戦略ではなくなってしまったように思います。
 いつの時代も親世代は自分の時代の有効人生戦略を子供に施そうとしがちです。しかしその子供が大人になる頃には、もはやかっての有効人生戦略は時代遅れで、有効戦略ではなくなってる、と言えそうです。ゆったり時が流れてた昔ならいざ知らず、スピードの速い現代では有効人生戦略もの移り変わりも早いと言えそうです。
 ところで現代において幸せのチケット、あるいは有効な人生戦略とは何か?僕は疑問に思いました。僕自身はわからない、というか、泉田さんの時代のような一つの有力な戦略には絞れないと思ってます。有効な人生戦略は多様になってしまい、絞れないというか、わからない。
 ただ、数少ない幾人かに現代において有効な戦略は何か?という質問をしたところ、「コミュニケーション力」という一致した回答を得ました。僕と同世代の人と、団塊の世代の人それぞれ1名です。なお団塊世代の方は当時まだ珍しかった大卒の方です。「コミュニケーション力」というのは特に会社勤めした際にポイントになると僕は思いました。
 あと未来においてはAIで、労働者の中途半端なスキルや技能、知識は意味をなさなくなると僕は思ってます。AIや企業のシステムが成熟して個人の能力や個性に依存しなくてもよくなると思います。うちの会社の労働者は誰でもいい、というケースがほとんどになるのではないでしょうか。
 人口減もあって、最低限の知識や社会性があれば、仕事につける。しかも、技能や専門知識上位1~5%の労働者を除けば、誰でも会社の歯車としては同じ、という社会になる気がします。
 残り99~95%の労働者は会社のシステムにとっては誰でも同じなのです。
 もし、そうだとすれば、男は会社勤めが本分で、仕事人間、という生き方はまったく、生きづらい生き方になると思います。自分に価値観を見出せないというか。せいぜい、家族が生活できるくらいのパートだかアルバイトで稼いで、趣味や家族に生きがいや、人生のウェイトを置いた方がいい気がします。子供に教育費をかけるのは費用の割に効果がないので、しない方が得だと思います。(上位1~5%にならないと意味がない。そして上位1~5%になるのは難しいので)それで教育費は要らないわけで、収入少なくていいんです。
 しかし、そんな時代こそ、表面的な学問ではなく、根っこの学問、哲学や教養、泉田さんの指摘する生きる力、といったものが、豊かに生きる上でポイントになってくる気もします。
 なお、1~5%の特別商品に対して、99~95%の一般商品という構図は、既に、農産物や器という普通の商品で先行されている気がします。

1~5%のカテゴリー→自然農、無化学肥料、無農薬の農産物、職人の刃物、職人が作った衣服、芸術家の器、陶芸品

 95~99%のカテゴリー→大量生産の商品一般、スーパーの野菜、工場で作られた刃物、量販店の衣類、100円ショップの器、コップなど

ここに将来的には労働力商品(=労働者)という観点からの人間も入ってくるわけです。


 ○戦後日本、敗戦後のカルタゴ、大長谷

 区長をやってて、お隣の地区(合同でまとまってるなかで僕は区長です。)との過疎の格差や、自分の地区の過疎といった、地区の課題、年度末の総会に意識やら時間が捕われてしまってる最近です。
 地区に関しては、いろいろ、おかしい と感じたり、不合理、非効率的と感じる部分があります。かといって改革しようにも、改革を阻止する風土や保守性、意見すら言いづらい土地柄で、自由な発言すら、ストップをかけられたりします。
 僕の地区は過疎が進みつつありますが、大長谷や利賀ほどの過疎ではなく過度段階で、中途半端に元気なのです。

 そんな中、1つの考え方、物の見方が頭に閃きました。

 歴史で学んで、知ってることとして、第2次大戦での敗戦後の日本の経済成長、復興が著しかったこと。またローマに第2次ポエニ戦争で敗れたカルタゴも敗戦後、経済復興が著しかった。復興の著しさはローマに危険視され、やがて第3次ポエニ戦争を仕掛けられる原因になったくらいです。日本の経済復興、成長がアメリカにとって迷惑な部分があったのに似ています。
 歴史上、何故か敗戦国は復興のペースが速く、しばしば戦勝国を脅かすほどの成長を遂げるということがあるようです。それは何故なのでしょう?

 保守的風土の地区で区長の任務をして地域の課題に頭を悩めているうちに、次の発想が閃きました。

 それは「敗戦によって上層部が刷新されたりすることで改革が容易になり、時代にあった合理的なシステムを採用できるようになったから」というものです。
 上層部や既得権益層、保守層の勢力が強いと現状のやり方を覆しにくいわけです。それに時代遅れだったり、非合理的であったとしても。しかし敗戦などで改革しやすくなると、時代や状況に応じた合理的なシステム、手法に刷新されたうえで政治、経済がが行われるようになる。だから復興、成長が著しくなる。

 大長谷は過疎が進み過ぎて、旧保守勢力が弱くなっていて、新しいやり方、改革がし易いのだと思います、個人の個性や力を活かしやすい環境にあるのではないか。大長谷には県内外から個性ある人々が定住したり、来訪したりして活躍しています。石黒木太郎さんはじめ、活躍している人も多いです。木太郎さんは最近、富山市の広報の裏表紙一面使って、照会、インタビューの記事がありました、富山市で活躍している人が毎月、紹介されてます。

 この解釈が正しいなら、既得権益層の保守性、影響力は、敗戦以上に有害な一面もあるということになると思います。

   ↑上記に関して筆者(川倉君)から訂正の申し込みがありました(3/20)。

*後日、地区の自治振興会の総会で割と自由に発言させてもらう機会を頂けて、けっこう評価してもらえました。自分の地区はけっこう寛容で異なる考えも理解してもらえると、見方を改めました。(川倉)
お勧め本→AI vs. 教科書が読めない子どもたち by新井紀子
   <内容の紹介>
    本書で筆者は、飛ばし読み、あてずっぽう読みなど独特の読み方を持つ現代小・中・高生の読解力の低下に触れ、危機を感じている。すなわち「教科書が読めない子どもたち」
    AIで代替される仕事はAIに代替され、AIに代替されない仕事をできる人材がいないという未来予想図を筆者は描いている。AIにできない仕事とは、①AIの中身、つまり数学を理解する人間、または企業がAIを導入する際に、AIにできる仕事とできない仕事を見極める仕事、つまりAIを導入するための仕事。(読解能力上位1~5%)②もう一つの道は、職人仕事。手仕事ならではの味わいのある「作品」。
    <本文引用>私の未来予想図はこうです。企業は人不足で頭を抱えているのに、社会は失業者が溢れている……。折角、新しい産業が興っても、その担い手となるAIにはできない仕事ができる人材が不足するため、新しい産業は経済成長のエンジンにはならない。一方、AIで仕事を失った人は、誰にでもできる低賃金の仕事に再就職するか、失業するかの二者択一を迫られるーー。
2021年1月2日   川倉君はブログをつくった。<真留句はこう言った>
<内容要約>
現代的ライフスタイルの偏りから成人病、心の病、温暖化(異常気象)、環境破壊、労働と賃金の格差、少子化といった現代の問題が生まれている(行き過ぎた資本主義)。
提案としての
[会社勤め] というのは今日の資本主義社会の中で絶大な強制力を持っている。サラリーマンとして生きるという潮流に抗うことは難しい。我々の家計を成立させるための1番安全な方法は労働力商品として企業に勤め、給料を得るという形でお金を得ることだ。このまま放っておくなら我々の大多数の人生のだいたいの時間は企業で労働者として働く時間に席巻、征服されてしまうでしょう。
 しかし、企業に勤める生き方は環境問題や、自分の人生の生きがい、やりたいこと、といった観点からは望ましくない部分が多い。また労働の正当な対価が昨今は得られにくくなっています。
働いても働いても、時間やお金に余裕ができないのは我々の時間や労働、エネルギーがお金を通して、見えざる存在に吸い上げられているからなのです。利子という厄介な黒幕がいるのです。

提案1[1/3会社勤め、1/3農業、1/3Ⅹ]
としてはどうだろう。Ⅹというのは半農半Ⅹのように、あなた方の魂の命ずる仕事、任務、やりたい仕事、使命だ。
提案2
昔のライフスタイルを現代生活に取り入れていく。
提案3
 昔のライフスタイルと現代のライフスタイルの狭間で度合いを加減して、ちょうど良い新ライフスタイルのバランスを見つけることは、あたかも料理でちょうど良い塩加減を見つけるのと似てるかも知れない。
 そして順次、だんだん昔のライフスタイルの部分を増やし、現代的ライフスタイルを減少させるのである。

 単に昔の生活にもどるのではなく現代にある科学技術や文化のうち、有用なものは残し、無駄なもの、弊害の多いものはそぎ落として、捨てて、昔のライフスタイルを取り入れるのが良いと思われる。
北陸中日記事2020.12.21→資本主義の限界露呈 経済アナリスト森永卓郎さん
 <内容の紹介>
  今年の日本経済はコロナに直撃されました。七~九月期の実質国内総生産(GDP)は、前年同期比でマイナス5.7%です。一方、中国は4.9%のプラス成長でした。なぜ、明暗が分かれたのか。日本政府の二つの政策が失敗したからです。
  一つは、昨年十月の消費税増税です。景気後退が明らかな中で強行した。政府はV字回復を予測していましたが、コロナでさらに落ち込みました。コロナ対策も失敗しました。世界保健機構(WHO)は当初から、徹底した検査と隔離を呼び掛けていました。ところが日本は、世界の常識に従わず、感染拡大を招きました。
  欧米に比べると、日本は感染者数も死者数も少ないと少ないと言われます。しかし、それは東アジア・東南アジア地域全体に見られる傾向です。日本の対策が成功したからではありません。現在の感染拡大は特に深刻です。
  経済政策も世界の常識から外れています。例えば欧州では、観光や飲食の消費税を下げました。日本の「Go To キャンペーン」より効率的で、はるかに効果的な対策です。
  コロナは、グローバル資本主義の限界を露呈させました。大都市に人が密集するのはグローバル資本主義の特徴です。そして、世界の大都市で感染が広がった。グローバル資本主義は地球環境を破壊し、格差を拡大させました。コロナはそれに警告状を突き付けたのです。
  私は、これからの方向性として三つのキーワードがあると考えています。「グローバルからローカルへ」「大規模から小規模へ」「集権から分権へ」。そういう方向に変わっていくと思っています。
  インドのガンジーは、貧困や不平等をなくすために「近隣の原理」を主張しました。近くの人が作った食べ物を食べ、近くの人が作った服を着て、近所の大工さんが建てた家に住む。そうすれば貧困はなくせる。
  そう考えた彼は、一貫してグローバル経済に反対しました。
  株価はバブル後最高値を記録しましたが、近い将来、大暴落するでしょう。来年、世界経済は危機に陥ると思います。しかし、それが世界経済に構造変化をもたらし、グローバル資本主義を終わらせて「ローカル・小規模・分権」への第一歩になるのなら、人も地球も幸福に向かって歩み出せると思います。
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